HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

* 乙女の祈り  メーリケ

 

星は きらめき

 鶏の鳴く 朝まだき

  乙女は かまどに

火を おこす 

     炎のかがやき うつくしく

  火花が 飛び散り

  覗いては 乙女の

       悲しみ ますばかり 

そも 乙女の 胸に

 夜中に こつぜん

  顕れいでし 彼が夢の

   思ひの深き なればこそ 

すると 泪が あふれ

 ぽたぽたと ああ

  明けても 暮れても

こころに浮かぶは 彼がすがた

   Das verlassene Magdlein

    Aus: Morike  Gedichte       Reclam ebd.  S.31f...

       「寄る辺なき乙女」  拙訳

* 唱歌 鳥のさえずり   ズィーモン・ダッハ

 

衝動に 駆られたように 森にゆくと

森は 鳥のさえずりで 

辺りいちめん 響き渡っていた 

 さあ 無辜の子らよ 純朴なる 民よ

   おまえたちの メロディーの

    なんと 爽やかなことか 

 愁いなく 善きこと 神を讃え

 早朝から 夜おそくまで

 いそしみ 励み 啼きつづける お前たち 

   そして 楽しげに 巣作りをなし

   卵を温め 育(はぐく)み 日々の

   煩(わずら)いもなく さえずり

   暮らす おまえたち 

 お前たちには 憎悪もなく

 闘争もなく 森は 愉悦の地となり

 羽毛は 美しき 衣となる 

   噫 われらも お前たちのごとく

   無辜に生き 愁いなく

   惑うことなく 生きられればいい 

 最高善にして この世の 

 創造主たる 神に 全幅の

 信頼をおくは 幸いなるかな !!.. 

富や利得で こころ 満たされても

却って 金銭欲のゆゑに しばしば

地獄に 突き落とされる この世の人生 

   おお われらに 愛をそそぎ賜ひし 神に

   傾倒することの すずやかなる 幸せ !!

          そして 鳥よ お前たちの 生には

   お前たちの 喜びが  あるのだ

                   

・ズィーモン・ダッハ 春の唱歌 拙訳

Simon Dach 1605-  59. ; Vorjahrs- Liedchen

Aus: Dt. Barock Lyrik    Reclam  ebd. S. 36f......

     

 

    

*夏は夜:「枕草子」より :

 

Im Sommer ,ich mag  die Nacht  gern,

Nicht nur wenn der Mond scheint,  sondern das Dunkel auch,

Als die viele Gluhwurmchen einander die Wege in ihren Flugen kreuzen,

Oder als es regnet auch   ......

・夏は夜。 月のころはさらなり。

闇もなほ。 蛍のおほく 飛びちがひたる、

 また、ただ一つ 二つなど ほのかに

   うち光りてゆくも をかし。

 雨など 降るも をかし。

*カッコウと負傷帰還兵: 

 

カッコウが啼いている。その啼き声は、辺りに響きわたり木霊している。すると、その啼き声に目ざめた夫は、かれは負傷帰還兵であったが、手足や体を思いきりの伸ばすと、心地よさそうに呻き声をあげた。そして傍らの妻の手をつかもうとした。だが、妻はその手を少し引いた。あたかも、気持ちが少しづつ遠ざかっているように。すると、夫は諦めたように背を向けると、

「フィーア(4),...フュンフ(5),...」とカッコウの啼き声を口の中でかぞえはじめた。それは 義足があとどのくらい月日が経てばくるのかをかぞえているようでもあった。

「ゼックス(6),...ズィーベン(7)...」夫がかぞえていると、妻も背を向けたまま、ツヴェルフ(12),....ドゥライツェーン(13)....」と小さな声で数え始めた。夫はその声に唱和するように、 アハトゥ....,ノイン.....,ツェーン.....、と半ば腹立たしげに数えると、数えるのをやめた。意気がすこしづつ消沈してきたからであった。義足がいつ来るかは皆目、見当もつかなかったからだ。

一方の妻は、それに気づかずに、フュンフツェーン(15)......,ゼッヒツェーン(16)......,と無頓着に数えていたが、ツヴァンツィッヒと20までくると、そこで数えるのをやめた。と、その時だった。カッコウのオスも啼くのをやめて、甘く誘うような声を二度三度と残すと、飛び去ってしまったようであった。妻はこのカッコウの啼き声を共にかぞえながらも、その心は別のところにあった。彼女の脳裡では、走馬灯のように、過去の思いが浮かんでは消えていたのだ。初めてダンスホールに誘ってくれたヤコプのこと、もしかして結婚してカナダに移住しようと考えていたエドワードのこと、毛皮獣の農場を所有していて羽振りの良かったカールのこと、銀行員であったエルンストのこと、捕虜として匿ってやったフランス兵のこと、などなど。・・彼女は20まで数えながら、過ぎ去った年月を想いおこしていたのだ。それはいわば、罪なき罪ともいえるものではあったが、今となっては霧の中に消えて行った過去の想い出深い人への幾分、哀愁を帯びた想いであったこのように夫は10まで数えて10年という年月を未来に追い求めていたのだが、そこには過去への思いと、未来への思いとの間に、実に30年もの開きがあった。夫婦とは、そして、人生とはこんなふうに、秘かに心を遠ざけ、ちぐはぐな心情をいつの間にか交錯させているものなのである。 

 その朝は涼しかった。西の方、遙かに嵐があって庭にも大雨を降らせていたのだが、厚い雲に覆われていた上空に、朝焼けが映え渡ると、次第に明るくなってきた。そんな中をカッコウがエコーするように響きわたっていると、啼き声に雷も共鳴しているのが夫婦の耳にも聞こえてくる。そして時には、稲光も空高くに光り、夫人の瞼にはその都度、過去に親しく関わった面影が浮かんでくるのであった。

    当時、夫は出征中で、翌年に野葡萄が庭の垣根になり蜂が集まってくる頃、帰還してきたのである。だが、彼は不機嫌に歯を食いしばり、腋の下に松葉杖をつき、体を支えていたのだ。夫は右足にひどい負傷を負っていて、もはや靴を履くことはできなくなっていたのだ。そして、いつ来るかわからない義足をしびれを切らして待っていたのである。

「痛みますの、...今日みたいに天気が変わる日には、膝が」

夫人は一陣の風が突如、吹いて、ベッドに立てかけてあった松葉づえが音を立てて倒れると、向き直っていった。夫はすると、黙ったなり首を横に振り、微かな声で云った。

「いいや、大丈夫だ・・・」   

             現代ドイツ短篇選 拙訳から

*E.Langgasser ; Kuckuck Aus ; Torso   

Gesammte Werke . Claassen Vlg. 1964. S.376-381.....

                                      

 

 

 

*意識的な散文 :《西東詩集》より ⑥

 

ゲーテの晩年になった「西東詩集」は、詩的様式が散文に著しく近づいていった。そこには体験内実と表示される意識との間に、<距離>があったからである。故に、そこでは半ば抒情的に教訓が語られるという表現形式が多々見られるのである。言い換えるならば、「西東詩集」にあっては一つとして直接的な感情表現はみられないといっても過言ではない。このように「西東詩集」の詩のほとんどすべては歌われていると同じ程度に語られているのであり、それは無意識的な詩ではあると同時に、意識的な散文ともいえるのである。

 そんな一例として、次の詩が挙げられてよい。

本のうちで いちばん 不思議な本: それは 愛の本

わたしは それを心して 読んだ ---:

喜びを 語るページは   少なく 全巻は 悩みだった

 別離は 一章を占め  再会は 断章にすぎなかった 

苦悶は 各編にわたり  説明は 長く記され 

     綿々と 尽きることがなかった 

おお ニザミよ! だが 竟に 正解は 見つかったのだ 

  解きがたくも それを解くもの

それは ふたたび逢ひ 愛しあふ ふたり

    ***  《愛の書》 より

Wunderlichstes Buch der Bucher

Ist das Buch der Liebe,.......dtv  ebd.  S.24.... 

*第二の青春 マリアンネ:「西東詩集」より

 

ゲーテ晩年になった「西東詩集」の萌芽として、新たな恋愛対象として出逢ったマリアンネ・フォン・ヴィレマーがいる。このマリアンネはズライカとして「西東詩集」に重要な形姿として現われてくる。つまり、そこには最後の恋愛体験としてのマリアンネ体験によって、ゲーテに所謂、第二の青春の自覚がみられるからである。ゲーテにとってこれを契機に、また新たな感覚的充実感や新鮮に溢れ出る創造力や陶酔からくる生の歓びが芽生えた。そして、そこからズライカ詩が生まれてくるのだが、とはいえ、第二の青春は固より、第一のそれではない。ゲーテ自身が65歳の晩年でもあり、いや、そればかりからではなく、30歳になっていたフランクフルトの銀行家夫人・マリアンネも若々しいとはいえ、こころも精神もすでに円熟し、甘いも酸いも心得た婦人だったからである。>>>ゲーテはそのようなマリアンネに、湧きいずる詩的空想を比喩を駆使し、形象の充実をもって感謝をささげた。 

 

 愛をかさね 時をかさね   言葉をかさね 眼差しをかさね  

 まことの限りの口づけをかさね  息をかさね こうして 

 夕べがすぎ 朝がすぎ  わたしの歌に隠された愁ひを 

あなたは感じ取ることでしょう ユスフの魅力を借りたい   

あなたの美しさに  ふさわしくと

            「ズライカの書」より Buch Suleika  

ユスフJussuph・・聖書のヨセフで、彼とズライカの愛は12世紀ペルシアの詩人ジャーミの叙事詩に歌われている。    

*異国の詩人、ハーフィス : 「西東詩集」 より ②

 

  さて、「西東詩集」の理解には次の三つの視点からみてみるといい。

その①はゲーテが遠い場所、東洋に目を向けたのは何故か、そして異国の詩人ハーフィス(1320-1389)に模範を執ったのは何故かということ。 

 その➁はいくつかの書からなるこの詩集の内実とその区分からの理解。そして、

 その③は詩的様式とその主要な特徴の解明である。そして、この三つのどの視点から理解を試みようとするにしても、留意していなければならないのは次の点である。すなわち、「西東詩集」はゲーテ晩年の作だということ、また、東洋主義の立場に立った作だということである。そして、そこから一切の詩篇に共通している体験内実とそこに表示された意識との間の<距離>といったものや、教訓的、比喩的、更には、寓意的な表現形式が何故、執りいれられたかが理解されるであろう。

 順序は前後するが、まず第二の立場として挙げた<内実とその区分>から、見ていくことにしよう。

  すでに述べたように、この詩集は幾つかの書からなっているのだが、そこには二つの中心があり、そして、この二つの書は全作品の担い手でもある。

 一つは詩人、賢者の形姿としてのハーフィス、すなわち、「ハーフィスの書」であり、もう一つは、晩年の恋人の形姿としてのズライカ、すなわち、「ズライカの書」である。ゲーテ私・イッヒichの比喩としてハーフィスを、そして汝・きみDuの比喩としてズライカを歌うのである。こうして出来上がったのが、「ハーフィスの書」であり、「ズライカの書」であるのだが、これはもとより、抒情的告白として歌われた抒情的な世界であることは言うまでもない。

    

*「西東詩集」 ゲーテ 覚え書き

 

「西東詩集」West-Ostlicher Divanはゲーテ晩年(65-66歳)の作である。1749年生誕のゲーテ1832年に物故するまで、83年という星霜を生き抜き、かつ、その大半を休むことなく精力的に活動しつづけた文豪・詩人であり、その間にはワイマールという小公国で宰相にも就いた稀な経歴の持ち主でもある。その幅の並はずれて廣い、遙かに聳え立つゲーテではあるが、彼の文学的金字塔から三つの作品を挙げるとするならば、一つは戯曲における、あまりにも偉大な大作と言ってよい「ファウスト」であり、一つは教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)の大作「ヴィルヘルム・マイスター」であり、晩年になった異色のといってもよい抒情詩における「西東詩集」(ディーヴァン)である。そして、これらはいずれもが大河のごとく悠然として流れ、どの部分をとってみても恰も、宝石のごとく輝きに満ちており、魅力にあふれているといっても過言ではない。

 さて、ここでみてみようとする「西東詩集」であるが、時代的には1789年のフランス革命につづくナポレオン時代の混迷と不安があり、(ゲーテは因みに、ナポレオンに60歳頃に謁見しており、またナポレオンはゲーテの若き時のセンセーショナルな純愛・書簡体作品である「若きヴェルテルの悩み」Die Leiden des jungen Werthersを何度も読んでいたという少なからずの因縁があるのだが)、その中にあってゲーテの精神は、遙かな族長の国である東方に関心がいっていたのである。

 

*戦後ドイツ短篇 クルツゲシヒテの タイトル考

 

*各作品のタイトルには、時代の状況もまた、反映されているものである。

レクラム版より、50作品のタイトルから。

◇ 語られた時代:

❶  世界の裏表   戦時下における現実:

  1.「陽動作戦」W.シュヌレ 

陽動作戦とは味方の真の作戦を隠し、敵の判断を見誤らせるために、わざとある行動に出て敵の注意をその方に向けさせるもの) 

2.「隘路」H.ベンダー(*あいろとは、狭くて険しい道を云う)

3.「ダンサー・マリーゲ」 J.ボブロフスキー 

❷ 破壊と精神の崩壊    戦時下の影響

4.「夜ごと,鼠はやっぱり、寝ていた」W.ボルヒェルト 

5.「旅人よ、スパに赴かば・・」H.ベル

 ❸  破滅への道     ナチス下のドイツ

  6. 「風下の島々」A.アンデルシュ

  7.「鉄の十字勲章」ハイナー・ミュラー 

  8.「イエーリコ」(パレスチナの都市)

  9.「或る愛の誘拐」アレクサンダー・クルーゲ

 ❹ 自由への血痕    協力と抵抗 

  10.「アルカディア」S.ヘルムリン(アルカディアとはギリシアの地名に由来し、桃源郷を意味する)           11.「窓辺のオレンジ」

❺ 考察と残存者体験   戦時下における捕虜生活

12. 「フライシャー船長への記念文集」アンデルシュ

13.「オオカミが戻ってきた」ベンダー(拙訳参照) 

➏   廃墟からの復興   戦後の諸問題

14.「荒寥とした舗道」H.ピオンテーク 

15. 「逃走中」シュヌレ 

16.「一縷の望みも消えて」E.ランゲッサー(或る精神異常の婦人の告白) 拙訳参照。

17. 「新 幸運なるオルレアンの処女」アイゼンライッヒ 

18. 「鵞歩行進」ヴァイラウホ 19. 「或る蒐集家の帰還」M.ヴァルザー

20. 「無頓着な男」S. レンツ      21. 「シュレーズィエン地方の伯爵夫人」ガイザー 

   ➐   50年代 ----

25.「世界の終末」ヒルデスハイマー

   ❽.   60年代  祝祭の準備と 崩壊の兆し     

  26.「ダビデはザウルの前にて戯れる」R.W.シュネル 

  27.「ゴーゴリの傍らにいるが如き」レンツ

 28.「テレビ戦争」フリース   

 29.「総合大学・ユニヴァースィテイ」 ヴァイラウホ   

   ❾.   70年代    不安な時代感情:  

 30.「復讐の時代感情」クルーゲ 

 31.「ハイデルベルクへお前は行きすぎる」ベル 

 32.「再会・ヴィーダーズィーン」シュナイダー 

   ❿.   もう一つのドイツ  DDR. 東独 

  33.「司令官夫人」ヘルムリーン 

  34.「天秤座」クーネルト 35.「低からず、遠からず」プレンツドルフ 

  36.「目の前の蠅」ブラッシュ 37.「試練の近い将来」シェートリッヒ  

  38.「バラトンの波浪」S.レンツ 

   *80年代  -----

  39. 「香水」ジュースキント。 

 * 他に、クリスタ・ヴォルフ、カーリン・キーヴス、ウーズラ・クレッヒェルなどの   女流作家、他多数。

     

*御復活前の七旬節の日曜日:  ランゲッサー

 

人類は ふかきこころで待ち望む 石からさえ血のにじむ孤独のふちの悲しみから

肉体は樹木や動物にも 朋友とならんことを望み 

溢るる愁ひの呪縛から解き放たきと おお 愁ひに満ちた苦悩よ !..

清水や棕櫚の樹や繁みに向ひ 愛のエクスタシーのなかで腕を拡げ

魅力ある生き物として原罪の苦しみから 自然のままの香を味わふ

 されど エデンの園にて 呪ひから枝枝の生長は萎え 繁茂も叶わず 

樹液が巡り発芽しても実はならず 夕闇せまる暗闇に 主は姿も見せず

生きる術(すべ)なき ありさ

Aus: E. Langgasser  Gedicht

 Sonntag Septua-gesima (Ostern)  In; Der Wendekreis des Lammes

          「仔羊の回帰線」 より Claassen Vlg. 1959   ebd. S.44..

 

 

 

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