HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

* 遠くで 白鳥の啼くのが・・:「ファウスト」第二部 「ヘレナ」 より 

 

 *9078- 9121 行 :合唱 より

この箇所も前の合唱部と同じ構成から成り立っている。即ち、1.フォア・シュトローフェと2.シュトローフェ、3.アンチ・シュトローフェ、そして4.エピ・シュトローフェである。

9099行 ~:

 3の箇所 から :--

 けれど おや 遠くで   Doch  , aber doch

白鳥の 啼くのが 聞こえるわね  Tonen hor'  ich  sie

白鳥の歌は 死の知らせ   Tonen fern  heiseren Ton !

     Tod verkundenden sagen sie :

せっかくの 助命の望みが むなしく 消えて

しわがれた 鳴き声が 終末を 

告げているのでないと いいけれど

白鳥に似て  細い首の わたしたちにも

ツォイスの白鳥が 産ませたという お妃さまも

嗚呼 儚(はかな)く このまま 滅びていくのかしら

9110  ~:

周りのものが みな 霧に隠れてしまったわ

もう 顔の区別が わからないくらい

どこを 歩いているのかしら

いいえ 歩いているというより

 小走りで 滑っているよう なにも 

見えないんだから

あら 亡き人の 先導をするという 

ヘルメスのあとから 歩いているのかしら

あのヘルメスは 輝く黄金の杖を 持ち

絶対服従を強いる 命令で わたしたちを

冥府へ 連れて行こうと しているかしらね

亡者や 幽霊の行き交う 

憂鬱な ハーデスの世界は まっぴらよ・・

   ***

・ツォイス: Zeus  ゼウス  :---レダとの間に、ヘレナとカストルとボルックスの子がいる。

・ヘルメス :Hermes :   魂を冥府に導く使いの神で、父はツォイス、母はマヤ。

・ハーデス : Hades  :  ギリシア神話の地下の冥府。    Pluto プルートー

 

 

 

 

 

 

 

*お黙り お黙り 嫌らしい目つきで・・:  

 

   8882- 9808 行 :合唱部

この箇所は4節よりなり、1.Vor-Strophe 5行と、2.シュトローフェ8行、3.アンチ・シュトローフェ8行、4.Epi-Strophe の6行からなる三和音である。(*因みに、4.のエピ・オーデ Epi-Odeとは、ギリシア劇における末段のことで、オーデを構成するシュトローフェと、それに対するアンチ・シュトローフェとにつづく長短格交互の詩形の終結部である)

     8882~:

1.お黙り、お黙り Schweige, schweige  !

 いやらしい目つきで 嫌らしいことを云うひとね

        Miss-blickende, missblickende  Du !...

一本歯の 怖ろしい口から

気味悪い 皺だらけの孔(あな)から

何ということを云うの

2.情けありげにみえる 意地の悪さ

 羊の毛皮を身に着けた 狼の剣呑さ

 首が三つもある犬の

 ケルベルスの歯よりも 怖いのね

そんな悪だくみの根深い下心で

隙(すき)を狙(ねら)っている怖ろしい正体が

いつ何処で どう襲いかかってくるかと

びくびくして聞いていたわ

 Denn der bos-artige wohl-thatig erscheinend,

   Wolfes-Grimm unter schaf-wolligem Vliess

 Mir ist er  weit schrecklicher  als des 

  drey-kopfigen Hundes Rachen .

 Aengstlich lauschend stehn wir da,

Wann ? Wie?  wo?..nur brichts hervor 

Solcher Tucke ......

      ...

 4. お黙り、お黙り !

いま 消えてゆきそうな お妃さまの魂を取り留めて

昔から 陽の照らすもとに生まれた 

女人のなかで いちばん お美しい あのお姿を

もうしばらく ここに お留めして おきたいのよ

    

ケルベルス Cerberus : 頭の三つある怖ろしい犬で、地下の冥府の入り口を護る番犬。     ギリシア神話

*イリオスの城壁は まだ残って・・:「ファウスト」第二部 より 

 

 ・スパルタのメネラス王の 宮殿の前

 Vor dem Pallaste des Menelas zu Sparta

*8697- 8753 行 :

・この合唱部の箇所は、9節からなっていて、1と2はそれぞれ5行づつ、3と4はそれぞれ6行づつ、そして5節目はメソーデといって、中間節となっており、また、6と7節はそれぞれ8行づつ、更に、8と9節はそれぞれ5行づつ、といったように対をなして書かれている。

イリオスの城壁は まだ 残ってたわ 

けれども 渦巻く火焔は 次々と

近隣に広がり さらなる 吹き荒れる風に

 煽られて あちこちで

火焔の町と 化していたのよ

      **

わたしは 紅蓮(ぐれん)の炎と

 煙の中を 逃げ惑いながら

 火柱のたつ家の陰で 憤怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)

ものすごい 神々の 巨人のような

 怪異の姿をみたのよ

神々は 大股で 黒煙の中を走り去って いったわ 

    ***

こんな  終末的世界は いまなお 

 信じられないほどね それとも 

実際 あれは わたしを襲った

 恐怖だったのかしら

        **

空想か 実際か わたしには分からないのよ

    ***

Sah ich's, oder bildete

Mir der angst-umschlungene Geist  

Solches Verworrene ?....sagen kann

Nimmer ich's ;...

・メネラス Menelas : スパルタの王で、ヘレナの夫。

・イリオス Ilios :-トロヤの別名。

*悲しい 囚われの女たちよ: 

 

*第二部 第三幕 ヘレナ より :

・  次の合唱部の歌は、全体がトロケーウス (抑揚・長短格)のリズムで書かれている。:

未来に起こることは 何もわからないわ

お妃さま ご安心あそばして 

お城へいかれますよう

よいことも悪いこととも 予期せぬときに 

   訪れるのです   8591- 8603  

     ***

*   8610-  37  :

  この箇所は、3節よりなり、1.シュトローフェ 2.アンチシュトローフェ3.エピ・シュトローフェの3和音からなっている。 

悲しい囚われの女たちよ 

あらゆる苦しみは 遠くへ 

投げ捨てるがいいのです 

長いこと留守にして お戻りになり 

だからこそ 一層 踏みしめ

先祖の家の竈の前に こころ躍らせ

近づいてゆかれる お妃さまの喜びに 

ともに授かりましょう 

ヘレナさまの喜びに 

ともに あやかりましょう 

Werfet  O  Schwestern , Ihr Traurig Gefangenen ,

 Alle  Schmerzen  ins Weite !....

   Theilet der Herrin Gluck !.....

        Theilet Helenens  Gluck !!.   

神様は遠い異郷で

悲しんでいらした お妃さまを見て 

イリオスの都の廃墟から  

装いも新たになった古い先祖の宮殿へ 

お連れ戻しになられたのです 

口では云われぬ喜びや嘆きのあと 

もう一度 昔の思い出を 

お偲びになられるように・・・

     8619- 37

 

         

 

* 乙女の祈り  メーリケ

 

星は きらめき

 鶏の鳴く 朝まだき

  乙女は かまどに

火を おこす 

     炎のかがやき うつくしく

  火花が 飛び散り

  覗いては 乙女の

       悲しみ ますばかり 

そも 乙女の 胸に

 夜中に こつぜん

  顕れいでし 彼が夢の

   思ひの深き なればこそ 

すると 泪が あふれ

 ぽたぽたと ああ

  明けても 暮れても

こころに浮かぶは 彼がすがた

   Das verlassene Magdlein

    Aus: Morike  Gedichte       Reclam ebd.  S.31f...

       「寄る辺なき乙女」  拙訳

* 唱歌 鳥のさえずり   ズィーモン・ダッハ

 

衝動に 駆られたように 森にゆくと

森は 鳥のさえずりで 

辺りいちめん 響き渡っていた 

 さあ 無辜の子らよ 純朴なる 民よ

   おまえたちの メロディーの

    なんと 爽やかなことか 

 愁いなく 善きこと 神を讃え

 早朝から 夜おそくまで

 いそしみ 励み 啼きつづける お前たち 

   そして 楽しげに 巣作りをなし

   卵を温め 育(はぐく)み 日々の

   煩(わずら)いもなく さえずり

   暮らす おまえたち 

 お前たちには 憎悪もなく

 闘争もなく 森は 愉悦の地となり

 羽毛は 美しき 衣となる 

   噫 われらも お前たちのごとく

   無辜に生き 愁いなく

   惑うことなく 生きられればいい 

 最高善にして この世の 

 創造主たる 神に 全幅の

 信頼をおくは 幸いなるかな !!.. 

富や利得で こころ 満たされても

却って 金銭欲のゆゑに しばしば

地獄に 突き落とされる この世の人生 

   おお われらに 愛をそそぎ賜ひし 神に

   傾倒することの すずやかなる 幸せ !!

          そして 鳥よ お前たちの 生には

   お前たちの 喜びが  あるのだ

                   

・ズィーモン・ダッハ 春の唱歌 拙訳

Simon Dach 1605-  59. ; Vorjahrs- Liedchen

Aus: Dt. Barock Lyrik    Reclam  ebd. S. 36f......

     

 

    

*夏は夜:「枕草子」より :

 

Im Sommer ,ich mag  die Nacht  gern,

Nicht nur wenn der Mond scheint,  sondern das Dunkel auch,

Als die viele Gluhwurmchen einander die Wege in ihren Flugen kreuzen,

Oder als es regnet auch   ......

・夏は夜。 月のころはさらなり。

闇もなほ。 蛍のおほく 飛びちがひたる、

 また、ただ一つ 二つなど ほのかに

   うち光りてゆくも をかし。

 雨など 降るも をかし。

*カッコウと負傷帰還兵: 

 

カッコウが啼いている。その啼き声は、辺りに響きわたり木霊している。すると、その啼き声に目ざめた夫は、かれは負傷帰還兵であったが、手足や体を思いきりの伸ばすと、心地よさそうに呻き声をあげた。そして傍らの妻の手をつかもうとした。だが、妻はその手を少し引いた。あたかも、気持ちが少しづつ遠ざかっているように。すると、夫は諦めたように背を向けると、

「フィーア(4),...フュンフ(5),...」とカッコウの啼き声を口の中でかぞえはじめた。それは 義足があとどのくらい月日が経てばくるのかをかぞえているようでもあった。

「ゼックス(6),...ズィーベン(7)...」夫がかぞえていると、妻も背を向けたまま、ツヴェルフ(12),....ドゥライツェーン(13)....」と小さな声で数え始めた。夫はその声に唱和するように、 アハトゥ....,ノイン.....,ツェーン.....、と半ば腹立たしげに数えると、数えるのをやめた。意気がすこしづつ消沈してきたからであった。義足がいつ来るかは皆目、見当もつかなかったからだ。

一方の妻は、それに気づかずに、フュンフツェーン(15)......,ゼッヒツェーン(16)......,と無頓着に数えていたが、ツヴァンツィッヒと20までくると、そこで数えるのをやめた。と、その時だった。カッコウのオスも啼くのをやめて、甘く誘うような声を二度三度と残すと、飛び去ってしまったようであった。妻はこのカッコウの啼き声を共にかぞえながらも、その心は別のところにあった。彼女の脳裡では、走馬灯のように、過去の思いが浮かんでは消えていたのだ。初めてダンスホールに誘ってくれたヤコプのこと、もしかして結婚してカナダに移住しようと考えていたエドワードのこと、毛皮獣の農場を所有していて羽振りの良かったカールのこと、銀行員であったエルンストのこと、捕虜として匿ってやったフランス兵のこと、などなど。・・彼女は20まで数えながら、過ぎ去った年月を想いおこしていたのだ。それはいわば、罪なき罪ともいえるものではあったが、今となっては霧の中に消えて行った過去の想い出深い人への幾分、哀愁を帯びた想いであったこのように夫は10まで数えて10年という年月を未来に追い求めていたのだが、そこには過去への思いと、未来への思いとの間に、実に30年もの開きがあった。夫婦とは、そして、人生とはこんなふうに、秘かに心を遠ざけ、ちぐはぐな心情をいつの間にか交錯させているものなのである。 

 その朝は涼しかった。西の方、遙かに嵐があって庭にも大雨を降らせていたのだが、厚い雲に覆われていた上空に、朝焼けが映え渡ると、次第に明るくなってきた。そんな中をカッコウがエコーするように響きわたっていると、啼き声に雷も共鳴しているのが夫婦の耳にも聞こえてくる。そして時には、稲光も空高くに光り、夫人の瞼にはその都度、過去に親しく関わった面影が浮かんでくるのであった。

    当時、夫は出征中で、翌年に野葡萄が庭の垣根になり蜂が集まってくる頃、帰還してきたのである。だが、彼は不機嫌に歯を食いしばり、腋の下に松葉杖をつき、体を支えていたのだ。夫は右足にひどい負傷を負っていて、もはや靴を履くことはできなくなっていたのだ。そして、いつ来るかわからない義足をしびれを切らして待っていたのである。

「痛みますの、...今日みたいに天気が変わる日には、膝が」

夫人は一陣の風が突如、吹いて、ベッドに立てかけてあった松葉づえが音を立てて倒れると、向き直っていった。夫はすると、黙ったなり首を横に振り、微かな声で云った。

「いいや、大丈夫だ・・・」   

             現代ドイツ短篇選 拙訳から

*E.Langgasser ; Kuckuck Aus ; Torso   

Gesammte Werke . Claassen Vlg. 1964. S.376-381.....

                                      

 

 

 

*意識的な散文 :《西東詩集》より ⑥

 

ゲーテの晩年になった「西東詩集」は、詩的様式が散文に著しく近づいていった。そこには体験内実と表示される意識との間に、<距離>があったからである。故に、そこでは半ば抒情的に教訓が語られるという表現形式が多々見られるのである。言い換えるならば、「西東詩集」にあっては一つとして直接的な感情表現はみられないといっても過言ではない。このように「西東詩集」の詩のほとんどすべては歌われていると同じ程度に語られているのであり、それは無意識的な詩ではあると同時に、意識的な散文ともいえるのである。

 そんな一例として、次の詩が挙げられてよい。

本のうちで いちばん 不思議な本: それは 愛の本

わたしは それを心して 読んだ ---:

喜びを 語るページは   少なく 全巻は 悩みだった

 別離は 一章を占め  再会は 断章にすぎなかった 

苦悶は 各編にわたり  説明は 長く記され 

     綿々と 尽きることがなかった 

おお ニザミよ! だが 竟に 正解は 見つかったのだ 

  解きがたくも それを解くもの

それは ふたたび逢ひ 愛しあふ ふたり

    ***  《愛の書》 より

Wunderlichstes Buch der Bucher

Ist das Buch der Liebe,.......dtv  ebd.  S.24.... 

*第二の青春 マリアンネ:「西東詩集」より

 

ゲーテ晩年になった「西東詩集」の萌芽として、新たな恋愛対象として出逢ったマリアンネ・フォン・ヴィレマーがいる。このマリアンネはズライカとして「西東詩集」に重要な形姿として現われてくる。つまり、そこには最後の恋愛体験としてのマリアンネ体験によって、ゲーテに所謂、第二の青春の自覚がみられるからである。ゲーテにとってこれを契機に、また新たな感覚的充実感や新鮮に溢れ出る創造力や陶酔からくる生の歓びが芽生えた。そして、そこからズライカ詩が生まれてくるのだが、とはいえ、第二の青春は固より、第一のそれではない。ゲーテ自身が65歳の晩年でもあり、いや、そればかりからではなく、30歳になっていたフランクフルトの銀行家夫人・マリアンネも若々しいとはいえ、こころも精神もすでに円熟し、甘いも酸いも心得た婦人だったからである。>>>ゲーテはそのようなマリアンネに、湧きいずる詩的空想を比喩を駆使し、形象の充実をもって感謝をささげた。 

 

 愛をかさね 時をかさね   言葉をかさね 眼差しをかさね  

 まことの限りの口づけをかさね  息をかさね こうして 

 夕べがすぎ 朝がすぎ  わたしの歌に隠された愁ひを 

あなたは感じ取ることでしょう ユスフの魅力を借りたい   

あなたの美しさに  ふさわしくと

            「ズライカの書」より Buch Suleika  

ユスフJussuph・・聖書のヨセフで、彼とズライカの愛は12世紀ペルシアの詩人ジャーミの叙事詩に歌われている。