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HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

* 御復活祭前の第五旬節の日曜日 ランゲッサー

Sonntag Quinqua-gesima 人は 同朋(はらから) ともに生き 傷(いた)みも 情熱も ともに 分かちあひ さながら 灼熱の 地獄のなかで 泪を流すは 熱く たゆまず こころを ひとつにしようと 願ひしからか 噫 されど 悲しきかな!.. 目の前は 闇のように 壁に閉ざさ…

*御復活前の第六旬節の日曜日   ランゲッサー詩 から

いまだ 神は お隠れになり 野の木陰で ヤハヴェの 呼ぶ声をまえに 民は 呻吟していた 民は 疎(うと)まれ イバラの道を 通り抜けゆくばかり おお 神よ 仔羊なる民は 主の下にて つき従うもの 穏やかな足どりで 身を屈(かが)め ひとつになり ともに 世と交わり…

*「トリスタンとイゾルデ」   プラーテンの詩 拙訳から

*これはアラビアやペルシアのガゼル詩形の形式美を駆使して、ドイツ詩に新たな地平を切り開いたプラーテンのロマンティックな詩から、訳出してみた。--因みに、プラーテンは晩年のゲーテとも多少の親交のあった形式美に優れた詩人である。** うつくしき きわ…

*御復活前の七旬節の日曜日  ランゲッサー

人類は ふかきこころを 抱いて 待ち望む すべての 石からさえ 血のにじむ 孤独のふちの 悲しみから そが 肉体は 樹木や 動物にも 朋友とならんことを 望み 溢るる愁ひの 呪縛から みずからを 解き放つ 噫 愁ひに満ちた 苦悩よ !.. 清水や 棕櫚の樹や 繁みに…

*現代ドイツの作家 メッケルの 「ライオン」を読む

嘗て、「現代作家論」シリーズとして文学界に紹介された清水良典氏の「川上弘美覚書」には、フツウの≪私≫の行くえが掲載されていて興味を覚えたのを思いだすのだが、そこには、こんな風なことがかかれていた。 曰く、: 『神さま』の冒頭は、"熊に誘われて散…

* Nachwort Ⅱ

シラー *1986年に本郷の郁文堂から、他の何冊かと共に購入しておいたレクラム版の「バロック詩集」を読んでいると、まず、ギュンターの詩が目に入ってきて、そこから「学生歌」ほか4,5篇を訳してみたのだったが、ここで「ギュンターについて」簡単に触れてお…

* Nachwort Ⅰ

*レクラム版「ドイツ抒情詩」の裏表紙には、1986.12.16.とあるから購入したのは30年ほど前のものと知れる。手許の蔵書には、ハンザ―社版のMunchner Ausgabe30数巻からなる浩瀚なゲーテ全集を始め、洋書はラーベやランゲッサー全集の何巻か、その他にもシュニ…

*ポーズをとった愛犬ターキーとタルティーニ メーリケ 愛の書簡集 より

このポーズをとったターキーを見ていると、よく声を出して笑ってしまいます。朝方、目覚めると声をかけてやるのですが、それはあのイタリアの作曲家、タルティーニの「悪魔のトリル」を聞いている際に、その誇張した演奏の特徴を呟いているときと変わらない…

*ドイツリート と ヴォルフ と メーリケ ④

*1875年のメーリケの死後、彼の才能を理解するひとは、ほんの一部にすぎなかったが、19世紀末になると、次第にシュヴァーベン・アレマン地方で評価されはじめ、その後、H.ヴォルフWolf/によってドイツリートと して作曲されると広く広まり、 メーリケの評価…

*「プラハへの旅路のモーツァルト」 メーリケ解明 ③

*1834年、30歳の時、ヴァインベルク近郊の牧師になったメーリケは、母や姉のクララを呼び寄せ、そこでの9年間を生涯で最も幸せに暮らしたが、1841年に母が亡くなると、彼自身も病気がちになるや、40代で年金生活者となっていた。 ・その後、1850年、46歳の時…

*抒情詩において 抜きんでていた詩人 メーリケ解明 ⑵

*ゲーテ以降で、その多様性と独創性で、メーリケほど抒情詩において抜きんでた詩人は、そう多くは見当たらないのだが、彼の生涯は決して、耀いていたのではなかった。寧ろ、憂慮に富んだものであったのだ。--zB./弟の死、姉の衰弱、別の弟カールの政治活動に…

*メーリケ解明  Morike :

*1875年6月4日、シュトゥットガルトで亡くなったメーリケ(享年71歳)は、それより10年前に、すでに詩作は衰退していたが、最も旺盛だったのは、1837年から38年にかけて(33歳から34歳)で、38年には150篇の詩を書き、一冊に纏(まと)めていた。 *彼の死の20年前…

* リンコイスのように ラーベ抄 <了>

完成をみた作品で、わたしの最後のものとなったのは、今から10年前に発表した「ハステンベック」*49 だったが、これは歴史小説で7年戦争を扱ったものだったのだ。その後、同じ年にもう一篇「アルタースハウゼン」*50という作品を書きはじめたのだが、これは…

*"無心になれ!..." 「フォーゲルザングの記録」 より W.ラーベ抄⓬

さて、わたしは30歳で婚約し、結婚したのが31歳だったが、前にも述べたように、私には四人の娘がいたのだ。因みに、長女が誕生したのが32歳のときだった、また、次女は私が37歳のときに、三女は私が41の時で、四女は 45歳の時の子だったが、中でも、四女のゲ…

*「饅頭男」が誹謗と中傷の弁護をする W.ラーベ抄 ⑪

私はこうして、25 歳で発表した処女作「雀横丁年代記」以来、二十代には19篇、三十代 には17篇、四十代では16篇、そして、五十代では10篇と発表していたのだが、中でも、60歳の時に書き上げた「シュトップフクーヘン」(饅頭男)*44は、ある意味でその頂点に達…

*時代の波と「古巣」など・・ W.ラーベ抄 ⑩

ところで、この「ホラッカー」を発表した年は、三女のクララが72年に誕生した4年後のことで、それは末娘のゲルトルートの生まれた年だったが、私にはもうひとりの娘、次女・エリーザベトがいて、彼女はわたしが37歳の時のシュトゥットガルト時代に生まれた子…

*ペシミスティック的時代には、ユーモア を  ラーベ抄 ⑨

さて、わたしがブラウンシュヴァイクで過ごした40代は、時はちょうど、ビスマルク帝国の時代であったが、彼の権力主義的政治には危機感を抱いていたものだった。というのも、その商業主義的政策や産業化の波は、人の魂を打ち砕く以外、なにものでもないよう…

*30年戦争とナポレオン戦争を背景に 「モミの木のエルゼ」

処で、「飢餓牧師」と「アブ・テルファン」との間にわたしは8篇の短編を書き残しているのだが、その中では次の二篇がよく読まれてきたのだ。つまり、「樅の木のエルゼ」*28 と「勝利の蔭かげで」*29 の二作品だが、私は前者の作品では、例の30年戦争を背景に…

*憎しみでなく、愛するために 「飢餓牧師」 ラーベ抄 ⑦

それはそうと、この62年から70年までのシュトゥットガルトで過ごした30代の8年間は、いま思い出してもいちばん幸せな時期といってもよいものだったのだ。というのも、それまでにない解放感を味わえたからであり、それに加えて、書くことにこころより打ち込め…

*オランダの独立戦争と 「黒いガレー船」など ラーベ抄 ⑥

私はまた、ヴィーンやミュンヒェン、そしてシュトゥットガルトにも旅してまわったのだが、そこではヴォルフェンビュッテルとは違って、はるかに自由な世界を知ることが出来たものだったのだ。なかんずく、シュトゥットガルトは後に、31歳の時に、わたしがヴ…

*「ライラックの花」とゲットー W.ラーベ抄 ⑤

・それから、28歳のとき、わたしは南ドイツに旅をしたのだが、これは人生経験をどれほど、豊かなものにしてくれる上で役立ったことか。この旅によって、それぞれの地方の文化や市民生活に肌で触れることが出来たし、人の歓びを目の当たりに感じることができ…

*批評家ヘッベル氏から、お褒めの言葉をいただく  ラーベ抄 ④

これ(*「雀横丁年代記」)は承知のように、今の私のような一人の老人が、過去を振り返りつつ回想していくスタイルで書いたもので、ベルリーンの裏横丁の錯綜とした小市民の運命と日常を、時代の運命を重ねることによって、ユーモアとペーソスをまじえて書いて…

*一条の星の光が、煌めいていた。 W.ラーベ抄 ③

・さて、私はこれまでに書いてきた作品中に、わたしの生涯のすべてを投入してきたのだが、そのため、書くためにすべてを犠牲にしてきた、といえなくもない。だから、一市民としての私の生活は、一種の擬態のようなものであっろう。つまり、老いたあのブロテ…

*「雀横丁年代記」とW.ラーベ ➁  

ところで、わたしの初めての作品は、54年の11月15日に書きはじめた「雀横丁年代記」*⑤なのだが、その文頭で、こう書き記した ものなのだ。: 「実に、嫌な時代である。」*⑥と。 だが、そこに記した私のモットーは、わたしの書いてきた長短68篇あるすべての作…

*「笑ひへの道」*①  W. ラーベ抄

身を屈(かが)めよ 山々 伸び上がれ 小さき谷よ 邪魔しないでおくれ 愛(いと)しい女(ひと)に 逢ふのを * 「フォーゲルザングの記録」より わたしは31年生まれで、今年、78歳になった。すでに、数年前に筆を絶ち、今では、ほんの僅(わずか)な人に知られている…

*棲家は小さくとも、安らぎは大きい パルヴァ・ドームス、マグナム・クイエス

*W.ベルゲングリューン短篇「古都奇譚」 より: さあ、みなさま、わたしの傍らにおかけください。ボトルはテーブルに用意できております。秋の陽はすでに沈み夕暮れて、外では鴉がカァー・カァーと鳴きさけび、木枯らしもピューピューと吹き荒(すさ)んでおり…

*海辺の夜のレジェンド  ハイネの詩 より

星なき夜の 冷たさに 海は 猛(たけ)り 北風は 海に 身を拡げ 横たわった そして 秘かに 喘(あえ)ぎつつ 音を立て 風は 水にむかひ 莫迦(ばか)噺(ばなし)を 喋りまくった 巨人たちの 索漠(さくばく)とした 物語や ノルウェーの 古伝説を----- そして 噺の切れ…

*「アンティゴネー」  ソフォクレス 

ソフォクレスによって書かれ、前441年に上演されたギリシア劇「アンティゴネー」は、攻めよせた敵方の骸(むくろ)を葬(ほうむ)ることを禁ずる掟(おきて)に、敢然として逆らい、死に処せられるオイディプスの娘、アンティゴネーの悲劇だが、そこに出てくるアン…

*木の葉が落ちる シュトルム詩 拙訳から

霧がたちこめ 木の葉が 落ちる ワインを注(つ)げよ まろやかな ワインを !... この憂き日を かがやかしい日に したいのだ 外は 荒れ狂っているが この世は すばらしいのだ かくも 神々しきゆゑに !..... けれども ときおり こころは 泪に濡れる だが それに…

*初めての聖体拝領の日に 放送劇風に

戦時下の、空はどんよりと低く灰色がかっていて、今にも雪が舞ってきそうな寒い。 アンジェーラは7歳の女の子。 ママ : 今日はあなた一人ではないのよ。多くの方たちが お集りになるのよ。ローソクを持った人が行ったり来たするでしょうし、誰もそこでは目配…

*シラーの情熱と苦悩・

23歳の時、短編小説集「小フリーデマン氏」を上梓し作家生活に入ったT.トーマス・マンは、26歳の時に、自身の一族の三代にわたる歴史をえがき名声を得、そして後に、これによってノーベル賞受賞をした初めての長編小説「ブデンブローク家の人々」を発表した…

*ヘレナとファウストと悪魔メフィストの闖入・ ゲーテ「ファウスト」第二部より

*第二部・第三幕 ⑵ から 城の中庭でのファウストと絶世の美女ヘレナとの愛の告白の場面(9377~84) ここでは毬を投げ、毬を受けるように、言葉と意味を交わしながら、心が結ばれてゆく場面 ヘレナ: ねえ、どうすれば あのように美しく お話しできるのから。 …

*「古代ワルプルギスの夜」 ゲーテ「ファウスト」第二部 より

*場面は: ファルザスの古戦場で、辺りは 暗黒である。 魔女・エリヒトーの独白 から: ハーイ、あたしはエリヒトー、夜の魔女よ。毎年のことだけど、今宵も魔女たちの祭りに参上したわ。やくざな詩人たちが、大げさに悪しく言うほど、あたしは不気味な女では…

*エッセイというジャンルの発展

内部世界の充実は、何らかの犠牲によってのみ、得られる。 ルドルフ・カスナー 19世紀末、転換期のウイーン文学界で際立ったのはエッセイというジャンルが新たな意味で発展したことであった。そのよき例として、ホフマンスタールが挙げられるのだが、彼は外…

*魅せられしもの・ 拙訳・ドイツバロック詩選 から

*ホフマンスヴァルダウの 詩から: 噫 魂を 歓びで 駆り立てしものよ そは 天国なる ワインよりも 甘く 汝れより 注(つ)がれしを のぞみ 噫 富める宝物より 好ましきものよ そによりて こころ 強くもなり はたまた 感情の 傷つきしときの ありしも そは 薔薇…

*「人間の哀感」と徒然草・第七段  拙訳・ドイツ バロック詩選 より

「あだし野の露・・」で始まる徒然草・第七段にみえる 深い 人生観。 これと似て、ドイツの最も傑出したバロック詩人、グリューフィウスにもこんな詩がある。 (拙訳詩集 から) 人間の哀感 Menschliches Elende : 嗚呼 人間とは いったい 何なのか 怖ろしき …

*デッサン: カフカと グレアム・グリーン

・西洋の現代文学に関して:-- 世界をラジカルに懐疑し、信じられない、という立場の代表が、フランスの実存主義の作家、例えば、サルトルとカミユならば、ドイツ文学圏の作家であるカフカは、世界観はこれに近いが、異なるのは、いかにしたら、それから打開…

*新古今集にある中世詩歌の無常観・・

・永らへば またこの頃や 忍ばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 紀貫之に代表される古今集から、300年を隔てて成った勅撰和歌集の新古今集だが、こには大きな変遷があったのはいうまでもない。その変遷の内実とは、古今集が現世肯定と現在の享楽、そして、美…

*或る消えた哲学者・・ 人生の目的と幸福

19世紀、ドイツの哲学者ハルトマンは、今では文献にすら見られないが、当時は知られた哲学者であった。そのハルトマンについて、鴎外は「妄想」のなかで、こんなことを 紹介している。 曰く、「幸福を人生の目的だとすることの不可能なのを証明するために、…

*プロメテウスの寓話・・ ホフマン短篇 より

<プロメテウスの寓話>というものがある。 創造主をもくろんで天の火を盗み、命あるものを生み出そうとしたあのプロメテウスの話だが、しかし、驕慢にも、神を気どったプロメテウスはどうなったであろうか。永遠の劫罰を受けたのである。つまり、神に成りあが…

*美食家ルクルスと、詩人 ルクレティウス ブレヒト より

老いた前将軍ルクルスは、嘗て、全盛期にアジアに出征していたとき、ポンペイウスは、あらん限りの陰謀を巡らし、彼のいない間に彼を排斥していた。が、このポンペイウスも、ルクルスが真のアジア征服者だと崇められていることは、先刻承知はしていたのだ。 …

*「ガブリーニと薔薇椋鳥」 ベルゲングリューン作 より

或る日のこと、小さな僻村に棲むガブリーニが蹄(ひづめ)の音を耳にした。と、眼の前に一人の騎兵が立っている。かれは豪華な甲冑(かっちゅう)をつけているが、武器は携えてはいない。その代わりに、オリーブの枝が巻かれている銀のステッキを持っていたが、…

*わたしは世界が明けるのを見た・ 「仔羊の回帰線」序 より

黄金に輝く 微笑みのなかで わたしは 世界が 明けるのを見た。 その世界は 深い秩序ある 映像として 鮮明になり まるで 戯れているように 形作られてゆき 平生なら 謎に満ち 隠れ 眼には 見えないのに 植物においても 動物においても そして 人間においても …

*「人間喜劇」とバルザック

1833年、34歳のバルザックBalzac 1799-1850 は、或る日、唐突に途方もない野心的な計画を思いつく。-----社会全体を小説の中に描き上げるということである。そして、ほぼ十年後、それまでの小説を再構成して、「人間喜劇」というタイトルの下に 刊行する。 …

*後朝(こうちょう)の別れ 「枕草子」より

七月はとても暑いので、あちこち開け放して夜を明かしている。満月の日などは、真夜中に目が覚め外を眺めると、それは素敵なのだ。闇夜もまた、いいが、有明の月も言ふに及ばず、実にいいのだ。 ところで、そんな有明のころ、人の気配がして衣の下から見た女…

*F.デュレンマットの戯曲  「物理学者」

1921年、スイス生まれのデュレンマットのデヴュー作は47年に上梓した戯曲「聖書に曰く」であるが、彼は最初に結婚した女優ロティー・ガイスラーの死後、52年にはシャルロッテ・ケールと再婚したという経歴を持っている。 彼の世界的に成功を治めた作品は56年に上…

*出会いのエロス・ ホフマンスタール 散文集より Erotische Begegnungen

ホフマンスタールは「道と出逢い」で、こんなことを書いた。 「すべての孤独な出逢いには、 なにかしら非常に美味なものがともなう。*1 エロス本来の決定的な所作は、抱擁ではなく、出逢いである *2. 」 彼はまた、こんな一節を引用してノートする。 「わた…

*蛙を呑みこむ!?..  鴎外より

「いま、何をしてらっしゃるの?...」 「今かい、蛙を呑みこんでいる最中だ・」 Was machen Sie jetzt ?. Jetzt?. Ich eben schlucke den Frosch *蛙を呑みこむというのは、エミール・ゾラの言葉で、こういうことである。つまり、作者というものは、毎日、新…

*「影のない男」の影とは・・「ペーター・シュレミールの不思議な物語」 から

これはドイツ人にもなれきれず、また故郷フランスも異国と感じていた詩人の話。彼はある時、新聞を手にし、O. von コッツェブーを隊長とする学術探検隊が近々、北極をめざし組織されたというニュースを目にする。すると彼は、友人たち仲立ちとなり、また、こ…

*エルフェ(妖精)の歌・ Elfenlied 拙訳・メーリケ 詩より

夜ふけに 村の夜番が 叫んだ-- 11時(エルフェ)だ !.. すると 森で寝ていた 小妖精は 早合点 すぐに 共鳴した -- あたしが エルフェよ !.... 誰かが じぶんの名を 呼んだと 思ったのだ はて 鶯か それとも ジルベリットか 妖精が 眠い目を こすりつつ 夜道を …