HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*批評家ヘッベル氏から、お褒めの言葉をいただく  ラーベ抄 ④

 

これ(*「雀横丁年代記」)は承知のように、今の私のような一人の老人が、過去を振り返りつつ回想していくスタイルで書いたもので、ベルリーンの裏横丁の錯綜とした小市民の運命と日常を、時代の運命を重ねることによって、ユーモアとペーソスをまじえて書いていたのだ。

≪・・しかし、たとえ闇がどれほど暗かろうと、一条の星の光がつねに、そこには煌(きら)めいていた。:つまり、エリーゼだった。≫(*S.127..;これはブラウンシュヴァイク   ラーベ全集からのページをしめす)

<<・・わたしは愛するものの眼の中に読み取れる啓示のほかにはどんな啓示も信じはしない。この啓示のみが真実であり、偽(いつわ)りを知らないからだ。愛するものの眼の中にだけ、われわれは神を目の当たりに見るのだ。>> (ebd...S.127..)

<<・・われわれは実に、愚かなものである。笑われることを怖れては胸の底から湧き上がるこの上ない優しい感情を押し殺してしまうことがいく度、あることだろう。泪を恥じて悪しく罵(ののし)ったかと思えば、楽しい笑いも恥じては、退屈気に渋面をつくってみせたりするのだ。また、人生の悲しみを喜劇の仮面の下に演じてみたり、歓びも悲劇の仮面の下に演じたりしているのだ。人はかくも、他人を偽(いつわ)り、かつまた、みずからをも苦しめないではおれぬものらしいのだ。>>  (ebd.....S.142..)

<<青春はどれほど美しく、眩(まばゆ)いことだろう。かれらは幸福を感じるのに多くを必要とはしない。わずかな月の光と、音を奏でるわずかな水の滴(しずく)があれば、また、リート(歌)の一節があれば、若者のこころは未(いま)だかつて、紙に記されたことのない詩情を感じるのだ。     (ebd. S.160....)

<<若者に愛が芽生えるときほど、美しいものはない。それはさながら、朝の光のようだ。----東の空がかすかに明るくなりはじめると、花の蕾(つぼみ)や人の命はやがて、明けゆく光につつまれ、あちこちからは羽ばたかせて雲雀(ひばり)が飛び交い、歓喜の声があがるが、辺りはまだ、幽(かす)かに靄(もや)に覆(おお)われていて、人生の奈落や荒寥(こうりょう)とした様は窺(うかが)い知れぬ。それ故、若者の胸にあるのは、ただ美しく咲き広がる花だの、舞い踊る蝶だの、また楽しげに囀(さえず)る小鳥ばかりなのだ。かれらは皆、未来のヴェールの下に温かく見守られているのだ。> (ebd..S.151.)

 <<噫、せめて、人生の荒寥とした絵巻物のなかにも、花を摘む風雅さは心得ていてほしいものだ。   (W.Raabe.   Die Chronik der Sperlingsgasse   S.163...

       Samtliche Werke.   Braunschweiger Ausgabe     Band Ⅰ.   VandenHoeck & Ruprecht in Gottingen  1965.)

 さて、幸いこの初めての作品は好評をもって受けいられ、当時、殊(こと)のほか厳しいことで知られた批評家のヘッベル氏*⑪からも、お褒()めの言葉を頂(いただ)いたものなのだよ。私はこの成功にどれほど、勇気づけられたことか。以来、ヴォルフェンビュッテルに戻ると、初期の作品、「春」だの、「フィンケンローデの子供たち」だの、「ディーナウの貴公子」、「聖なる泉」*12/といった作品を矢継ぎばやに発表していったものなのだよ。     

 ---(注)-:

 ⑪*・ヘッベル   C.F.Hebbel 1813- 63  劇作家。19世紀ドイツリアリズム戯曲の完成者。処女作「ユーディット」「ギーゲスとその指輪」など。Judith,      Gyges und sein Ring.    usw---

* 「春」・・Ein Fruhling   、26歳の作。 「フィンケンローデの子供たち」

Die Kinder von Finkenrode.  28歳の作。「ディーナウの貴公子」Der Junker von Denow.  28歳の作。「聖なる泉」Der heilige Born.   30歳の作。

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