HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*オランダの独立戦争と 「黒いガレー船」など ラーベ抄 ⑥

 

私はまた、ヴィーンやミュンヒェン、そしてシュトゥットガルトにも旅してまわったのだが、そこではヴォルフェンビュッテルとは違って、はるかに自由な世界を知ることが出来たものだったのだ。なかんずく、シュトゥットガルトは後に、31歳の時に、わたしがヴォルフェンビュッテルの名士の娘だったベルタ・ライステと結婚したのちに、そこに棲むや以後、8年間を暮らすことになった地でもあった。 その為、そこは終生、忘れ得ぬ思い出の地となっているばかりか、この南の地での体験は、いわば、ちょうど、ゲーテが37歳だったころに、かの地、憧れのイタリアに旅して眼を見開いた体験*⑰/にも比べられるほどの意義が、この私にもあったのだよ。 こうして、これを契機に以後、わたしは幾つかの作品を書き続けていったのだが、その一つに、30歳の時に書き上げた「黒いガレー船」*⑱がある。---:これは1568年に反乱の始まりがあったのだが、オランダの独立戦争、とはつまり、北部のカルヴァン派の新教徒が旧教国であるスペインに対して起こした反乱を背景にしたもので、これが80年もの長きにわたって続き、独立に至る戦争であったのだが、私はこの作品で、はなはだ牧歌的な一挿話といったものに作り上げて脇役としてのスペイン軍の大尉に、うら寂しい感懐を書きこんでいたのだが、まあ、これは私の本音といったところでもあったといってよいのだよ。そして、この作品は、最後に、こんなふうに書きこんで終わらせていたのだ。: 

・・砲声が収まっていた。すると、オランダ船はみな、戦利品を積み込んで、スペインの要塞から離れていった。遠くからはすると、なおも1568年当時の歌が、響きわたってくるのであった。: 

御 神の御前にて 告白します。御神の 御業の前にて 心のすべてを 吐露します あの頃は 君主に こころから 従わなかった ものでしたが 御神こそ 最高の 君主と思い 信じていた からなのです ・ あなたは 正義の下に 支配して  くださっているに 違いないと  信じて いたからなのです

 わたしはまた、その翌年には「説教壇より」*⑲という作品を書き上げていたが、これはマークデブルク市のシュマールカルデン戦争(*Schmalkaldischer Krieg--1546.7. ~ 47.5...)における自由の闘争を描いた歴史小説だったのだが、これも宗教戦争の色合いが濃く、とはつまり、カトリック教会を支持する神聖ローマ皇帝カール五世とプロテスタント勢力であるシュマールカルデン同盟の間での闘いでもあったのだが、この頃は、事情は相似て、その他にも、1618年から続いた新旧キリスト教の戦いとなった30年戦争なるものがあり、国土はそれ故に疲弊し、人心も荒すさんでおったのが歴史的事実だったのだ。   また、他には新たな物語的技法で書いた短篇「最後の権利」*⑳も31歳当時の作品にはあるのだが、32歳の時には、初めてこれまでとは異なり、現在を舞台にして「森からの人々」(*21)を書いているのだ。:---これはゲーテの晩年の作品やストイックな倫理観に影響を受けてできた所謂、ビルドゥングスロマーン(教養小説)でもあったのだ。そしてその年は、因みに、待望の長女のマルガレーテが誕生した年でもあったのだが、こうして、少しづつ以後は、私独自の作風に向かっていった転機でもあったのだよ。        

 *⑰ ゲーテはイタリア紀行を契機に、以後、古典主義的作品タウリスのイフィゲーニエ」や、「トルクヴァート・タッソー」を発表した。

                      Iphigenie auf Tauris       Torquato  Tasso 

*⑱ 「黒いガレー船」 Die schwarze Galeere.  30歳の作。

*⑲ 「説教壇より」   Unseres Herrgotts  Kanzlei.  31歳の時の作。

*⑳ 「最後の権利」Das letzte Recht.  31歳の作。

*21.  「森からの人々」・Die Leute aus dem Walde. 32歳の作。

        

*Die schwarze Galeere: Am Anfang dieser Erzahlung.

          「黒いガレー船」 初期作品 1861;より

    Ⅰ.  Es war eine dunkle ,sturmische Nacht in den ersten Tagen des Novembers, im Jahre 1599, als die spanische Schildwache auf dem Fort Liefkenhoeck , an dem flandrischen Ufer der Schelde , das Larmzeichen gab, die Trommel die schlafende Besatzung wachrief und ein jeder --Befehlshaber wie Soldat --seinen Posten auf den Wallen  einnahm......  Die Wellen der Schelde gingen hoch,und oft warfen sie ihre Schaumspritzer den frostelnden Sudlandern uber die Brustungs-mauern ins Gesicht.