HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

* Nachwort Ⅰ

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*レクラム版「ドイツ抒情詩」の裏表紙には、1986.12.16.とあるから購入したのは30年ほど前のものと知れる。手許の蔵書には、ハンザ―社版のMunchner Ausgabe30数巻からなる浩瀚ゲーテ全集を始め、洋書はラーベやランゲッサー全集の何巻か、その他にもシュニッツラーやクライストやアイヒェンドルフの全作品が入っている作品集があるのだが、今回は何故に、岩波文庫版の元になったといわれるレクラム版からなのかは問うても始まらないが、怖らくは、気軽に、この近年の地球温暖化による連日の猛暑の暑気を凌ごうと、凌雲の志からでもあるまいが、手に取ったのであろうか。ともかくも、それが縁となり、連日の暑い中を、庭の強い日差しを受けてなお、緑に輝く木々の葉を眺めつつ、また、抜けるような碧い空と白く沸き立つ雲に時折り、目を向けつつ、そして軒下に吊られた風鈴の下で、風にそよぐ赤や黄色の短冊に些かなりとも涼しさと風情を味わいつつ、訳していったのが記憶に新しい。紅茶とクッキーの休憩時間は頻繁にとりつつも、原文・原典から訳出し、いったん訳し終えると、次には推敲していくのだが、この作業は楽しく、こうして、一気呵成とまではいかなくとも、10篇から15篇ほど出来上がると、最初は現代詩が主だったが、そこにホフマンスタールやC.F.マイアーといった現代詩人ではないベリュームトな詩人の詩も加えつつ、そして、その現代詩人の中でも、パウル・ツェランやインゲボルク・バッハマンなども挟みつつ、まずは一冊の小冊子ができあがったのもまた、記憶に新しいといってもよいのである。    

   処で、先の閨秀詩人バッハマンは、既知のベリュームトな現代ドイツ詩人・リューリカーであるが、彼女のここで訳出した長編詩は超難解なものではあったが(両詩人共にみずから、理解困難な詩であるゆえ、感じ取っていただければいいのだと認めつつ告白しているのだが)、訳していてさほど違和感はなかった。というのも、大学院時代にランゲッサーを論文中で取り上げた際、この閨秀詩人の、やはり超難解ともいえる自然詩三篇の、(そのいずれもがⅠ・Ⅱ・Ⅲからなる長い詩であったが、)訳業をなし終えていたからである。とはつまり、このふたりの閨秀詩人の傾向や視点こそ異なるとはいえ、伝統的な自然抒情詩・Naturlyrik.という点では作風が相似ていたからである。

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*因みに、バッハマンに関して、ここで少し記しておくと、彼女は1952年に26歳で抒情詩人でデヴューするや、処女詩集「猶予(ゆうよ)期間」Die gestundete Zeitでセンセーションを起こすほどに激賞され、次の第二詩集「大熊座への叫び」Anruf des Grossen Baresもまた、熱狂的に称賛されたものの、61年以降は35歳で7篇からなる短編集「30歳」Der dreissigste Jahrを書くと、詩は書かなくなり、散文へと方向転換をしていたのである。 

**E.ランゲッサー;Elisabeth Langgasserの三篇の長編詩とは、「二月の光」Lichtmess in Feburar ・「寒い日のミサ聖祭」Kalte Lichtmess ・「夏至祭のダフネ」Daphne an der Sonnenwendeである。   

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   *処で、自然抒情詩とは、O.レールケ(Oskar Loerke,1884-1941)に端を発し、W.レーマン(Wilhelm Lehmann,1882-  )に受け継がれたドイツ現代詩の著しい傾向となったひとつの伝統的詩形式であるのだが、この詩には植物や動物、神話からの語彙が多用されていて、それらを散りばめて詩人の人生観や世界観や宇宙観など述べていくものであり、ランゲッサーに関して云えば、彼女の場合はカトリック閨秀詩人というたちばから、<自然・神話・秘蹟>といった内実を込めているのである。一方、バッハマンはおなじ自然抒情詩の作風であるとはいっても、愛に関する見解を豊かな感性と創造性と想像力、そして知識によってうたいあげているのである。