HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*頼山陽の放蕩

 

*聞くところによれば、頼山陽は日本三大神経衰弱作家の一人だといわれる。他の一人は云わずと知れた漱石であり、もう一人はかの有名な歌人藤原定家だというのだが、これに加えて、現代作家では「四季」や「雲の行き来」ほか、江戸時代の松前藩家老で文人画家の「蠣崎波饗」評伝など、多作で知られる中村慎一郎を加えてもいいのだろうが、それはともかくも、此処では頼山陽(1780-11832)について簡単に述べてみよう。

*彼は江戸文明最盛期の文化文政期に活躍した文学者だが、一生、士官することなく、京都の儒者だった。因みに、出身は備後は広島出である。

*しかし、その彼の書いた詩文は一世を風靡し、また「日本外史」と「日本政記」の二大著書によって歴史家として著名であった。

*彼は開放的自由人であり、それ故の悪名高き放蕩も、乱暴な新婚生活も、不可解な脱藩も、彼の神経症との関連で眺めれば、自然な解釈がつくのである。

*また、かれの金の上での不行跡評判も、女性問題と同様、かれに一生ついて回った。この金と女の二つの悪評はしかし、かれの自由人としての代償であった解釈されてよい。

*またこの自由な生活を通したればこそ、彼は執拗な神経症から遁れることも叶ったと云ってよいのである。   ***** 

*「人間は矛盾した多くの可能性の束(たば)」とは、中村慎一郎氏の正鵠を得た言葉ではある。

*時は文政2年、1819、山陽はちょうど40歳であったが、これを機に彼の文運も生活も上昇の一途いちずを辿る。が、放蕩としての評判は相変わらず消えなかった。

*彼は野人を貫き、天下の浪人を貫く。

*が、九州から還っての彼の後半生は、超人的な努力を学芸に傾注していくのである。

*畢竟、放蕩は山陽を文人、つまり、感覚の人として詩文家たらしめていたのである。

とはいえ、放蕩とすぐれた文人、禁欲と学者としてのこの二つの相矛盾したものは、晩年には相剋していたには違いないのである。

                                         *中村慎一郎「頼山陽とその時代」より