*W. ラーベ抄 : 人と作品
ラーベが 最後に発表した作品「ハステンベック」は歴史小説で、これは7年戦争を扱ったもの。彼はその後、もう一篇「アルタースハウゼン」を書きはじめるが、これは中途のまま老齢の故もあり筆を絶つ。 とはいえ、擱筆してから10年の歳月の間に、いろいろな名…
ラーベは30歳で婚約し、結婚したのが31歳、四人の娘。長女が誕生したのが32歳のとき、また、次女は37歳のとき、三女は41の時、そして四女は 45歳の時の子。が、末娘ゲルトルートには悲しい思い出があった。というのも、16歳の若さで病死していたからだ。この…
62年から70年までシュトゥットガルトで30代の8年間を過ごしたラーベは、それまでにない解放感を抱き、書くことに 打ち込む。この時期は、また、友人たちと親しく付き合うことのできた時期で、 後に所謂、長編三部作、「飢餓牧師」「アブ・テルファン」「死体…
40代をブラウンシュヴァイクで過ごしたラーベ。時はビスマルク帝国の時代。彼は権力主義的政治には危機感を抱く。というのも、商業主義的政策や産業化の波は人の魂を打ち砕く以外なにものでもないからである。そんな時代であればこそ書くものはイロニー的色…
処女作「雀横丁年代記」は 若きラーベが老人を語り部にして 過去を振り返りつつ回想していくスタイルで書いた。:そこでは ベルリーンのうら寂れた裏横丁を舞台に 錯綜とした小市民の運命と日常を、時代の運命を重ねることによってユーモアとペーソスをまじえ…
.ラーベは、ヴィーンやミュンヒェン、シュトゥットガルトにも旅してまわる。そして、はるかに自由な世界を知る。なかでも、シュトゥットガルトは31歳の時に名士の娘ベルタと結婚した土地で、以後8年間を暮らした。 その為、終生、忘れ得ぬ地となり、この南の…
ラーベは28歳のとき南ドイツに旅をし、地方の文化や市民生活に触れ、人の歓びを目の当たりにした。 ライプツィッヒやドレスデンでは、何人かの作家にも接し、その一人は当時43歳のフライターク。彼の代表作は「借りと貸し」Soll und Haben。もう1人は48歳の…
19世紀ドイツの作家W.ラーベの処女作「雀横丁年代記」⑤には、文頭でこう書き記されている。: 「実に、嫌な時代である」⑥と。 このモットーは、ラーベの長短68篇あるすべての作品に貫かれているといってよい。: 25歳のこの処女作以来、半世紀近くにわたって、…
W.Raabe ラーベが「ホラッカー」を発表した年は、三女クララが72年に誕生した4年後のことである。それは 末娘ゲルトルートの生まれた年でもあった。そして 彼にはもうひとり次女 エリーザベトがいる。 37歳の時のシュトゥットガルト時代に生まれた子である。…
ラーベが25 歳で発表した処女作「雀横丁年代記」。 Der Chronik der Sperlings-Gasse。 以来、20代に19篇、30代 に17篇、40代は16篇、50代では10篇発表。 その中で、60歳に書き上げた「シュトップフクーヘン」(饅頭男)は、ある意味で、その頂点に達しえた作…
31年生まれで78歳になっていたW.ラーベは数年前に筆を絶ち、僅(わずか)な人に知られているにすぎなくなっていた。そのころ、ヘッセがブラウンシュヴァイクに講演に来た折り訪ねてくる。ヘッセは20代後半に発表した「青春 彷徨」(ペーター・カーメンツィント)…
ラーベは長編「飢餓牧師」と「アブ・テルファン」との間に 8篇の短編を書いた。比較的よく読まれてきたのは、「樅の木のエルゼ」 と「勝利の蔭(かげ)で」。 前者は 17世紀に起こったカトリックとプロテスタントの抗争である30年戦争が背景。 後者は ナポレオ…
「雀横丁年代記」は、一人の老人が 過去を振り返り 回想していくスタイルで書かれている。: そこはベルリーンの裏横丁。そこでの小市民の運命と日常が、時代の運命と重ねられ ユーモアとペーソスをまじえて書かれている。: 〈 闇が どれほど 深かろうと、一…