HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*ジッド「贋金つかい」より

 

「文学で、例えば、ラシーヌ劇で父親と息子たちのやり取りほど感心させられるものはない・・」とオリヴィエの叔父で作家のエドゥアールは云った。

「いいですか。芸術は要するに、普遍的なものです。・・つまり、個別的なものによって普遍的なものを表現しているのです。・・ああ、ちょっとパイプを喫煙してよろしいでしょうか」

「どうぞ、御遠慮なさらないで・・」ソフロニスカは云った。

「ところで、ぼくは今「贋金つかい」という小説の構想を練っているのですが、ぼくの創りたいと思っている小説は人間性に根ざしながら真実性に富み、そして 虚構性にも富むといった作品でしてね。さしづめ、そんな例はラシーヌで云えば「アタリー」、モリエールで云えば「タルチュフ」と云ったところでしょうか。」

「それで、その主題は何なのでしょう」

「そんなものはありません」とエドゥアールは云った。

「ぼくの小説には主題はない。これをお望みなら、こういってもいい。つまり、主題はたった一つではないのです。・・思えば、自然主義派の欠陥は、人生の断片をいつも、同じ方向に、時間の縦軸に沿って切りとったことなのです。・・ いいでしょうか。ぼくは小説に横軸も差し込み、何もかも盛り込みたいと思っています。ですから、わが身に起こったことは何もかもつぎ込み、細大漏らさずに、・・ですから、僕の見るもの、知ること、他人やぼく自身の生活から教えられるものは全て盛り込みたいのです」

「でも、それがみんな様式化されますかしら・・」ソフロニスカ夫人はすこし、皮肉を込めるように言った。 ローラに至っては苦笑を禁じ得ないような表情を見せた。すると エドゥアールは肩を竦めて云った。

「ぼくのしたいのは、目論見はいいでしょうか、現実を表現し、その現実を様式化する努力を表現することなのです。」

「あなた、読者がそれでは、うんざりしてよ」とローラは苦笑を通り越して笑い出してしまった。

「そんなことあるものか」

「ええ、とっても風変わりな面白いものになりそうね」とソフロニスカ夫人は丁寧に云った。

「でも、ご存知でしょうけど、インテリたちだけは登場させない方がいいことよ。必ず危険が伴いますもの。一般の読者は閉口して退いていきますものね・・」

  *** Gide:  1869-1951

                Les Faux-Monnayeurs.

     1945: ゲーテ賞  ノーベル文学賞

因みに、「贋金つかい」は唯一のロマーンで、他には、一人称の語り手による単線的な筋の作品で《レシ》と呼ばれる《背徳者」や「狭き門」、「田園交響楽」などがよく知られている。