いとこのアルバーンは、今、どうしているのだろう。噂を聞かなくなってから久しい。それほど親しく付き合ってきたわけでもない。
彼の一族は大家系で、関心を寄せたことがあった。 それはアルバーンが特有の主張、「嘘じゃない。悪いのは、俺ひとりなのだ!」と云い続け精神病院に収容されていたのだ。
こういう人間は言い出すと、引き下がらないのだ。
アルバーンも、もともと精神異常者ではなかった。が、内なる秩序が錯乱し始めると、平常さが維持できなくなり、人から理解されない観念に取りつかれていたのだ。 そういう場合、人は自衛策を講じる。例えば、あの人はシナの大皇帝なのだとか、大発明家だとさとか、復活なさったイエスさまね などと。それで片をつけているのだ。 即ち、あの人は気が狂ってしまったのだと。こうして誰もが、わが身は平常とホッとしていたのだ。
アルバーンの奥さんマーティルデも、お嫁さんや一族の方も、彼は気が違ってしまったと決め済ましていたのだ。
Elisabeth Langgasser : aus; dem Torso
Der Titel heisst; Die Sippe auf dem Berg und im Tal.
Gesammelte Werke Classen Verlag 1964 S. 323--330..
この一族は食料品を扱う物産店をもっていた。そこへ行けば何でも手に入るほどだった。だが、マーティルデさんの息子はスターリングラードに出征し、いつまた会えるかと心配は尽きなかった。
一族は誰もが如才なく、絶えず世界各地へ飛び回っているところがあった。 音楽家の叔父は毎年バイロイトやザルツブルクへ出かける、他の叔父はアメリカへでかける、そのように外国へ行くものも多かった。
一族を初めて知ったのは、あの大空襲があった夏、子供たちを疎開させるためヘッセン州へ移った時で、それはハンブルグ崩壊の後のこと、ベルリンにいた私たちは、コヴェントリズィーレンだの、アウスラズィーレンという言葉を耳にし恐ろしくなったものだ。が、この言葉からはまた、シラーのバラード「イービクスの鶴」を思い浮かべてもいたのだ。
ヘッセン州へ疎開した折り、小都市アメーネブルクを訪れたことがあった。そこは今では一角に 僅かに家屋があり、慈善施設や城址が残されていた。平野の真っただ中の円錐形の山の上には、中世の遺物に似た 崩壊した遺跡が風雨に晒されていた。 だが、その上空に雲が棚引き、胡桃の大木が立ち、どの木にも倒れんばかりに実がなっている光景は美しく、こんな光景を記憶にとどめているのは、二人の縁戚者に結びついていたからで、彼らはカリエスに侵され、舅で船医のメアンダーも病にかかっていて、セイロンからボルネオに航海する途上で よくなっていたのだが、メアンダーの子供の頃のダジュール(金属板)写真を見て アメーネブルクへ出かけてみようと決心したのだ。 写真には黒い服を着てママの膝に凭れ、ちょっぴり頑固そうな眼付をしたメアンダーが映っていた。出かけてみると、いとこは一様に、フルダに棲むアルバーンとマーティルデ夫妻を訪れるよう勧めた。しかし、フルダに舅のいとこの牧師ヨーゼフさんが棲んでいると聞くと、先にそちらに回り道をした。貴族の邸宅であった館に棲んでいる牧師は歓待してくれ、地下蔵からワインを持ってきて、ローソクの明かりの下で飲んだのだが、その間中も 英空軍のプロペラ機がフルダやカッセルから東方へと飛んでいった。
あれこれ語り合ったが、話によると牧師は以前、世界周遊し、メアンダーともシカゴへ行ったことがあると云い、色々な絵葉書をみせ罪とか希望、贖罪や審判について語るのであった。今では覚えていないが、その際、蝋燭の炎から脳裏に小都市アメーネブルクの光景が浮かんでくるや、メアンダーの幼いころの写真姿も浮かんでくるのであった。
「さあ、話はこれくらいに」牧師は云うや、「悪事をなす者はいくつもの罰を受けますからな」とわからない言葉を付け加えた。が、マイネ・トホター Meine Tochterわが娘と呼んだかと思うと、「メアンダーさんのことなら、アルバーンから聞かせてもらうがよい」といった。
フルダに行ってみると、アルバーンの家の近くにも胡桃の大木があり、白い雲が浮かび、そのもとでアルバーンは庭先を行きつ戻りつ。傍らでは、子供たちが胡桃の実に石を投げ落ちてくるのを楽しんでいた。 Fortsetzung... つづく