・・渋江抽斎は古代の書を読むことが好きである。抽斎は医者であった。官吏であった。:経書や諸子も読み詩文集も読んだ。そこがよく似ている。抽斎は酒は飲まず、弘前に赴任し寒いので晩酌をした。-抽斎は書物を買うに金を惜しまなかった。>>>
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諸子とは孔子、老子、孟子など、また経書とは中国の賢者の教えの書、孔子や孟子の書も含む儒教の経典をいう。
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Gern las Chusai Schibue alltaglich viele alte Bucher .
Chusai war ein Arzt... .Und er war auch ein Regierungs-Beamter.
Er las die Bucher der Philosophie, wie Schoschi, und Keischo.
Und er las sonst auch die Bucher ,wie die Gedichts-Sammlung . ---Das ist sehr ahnlich zu mir .
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・これは江戸時代後期の医師で考証家抽斎の評伝であるが、かれは弘前藩の侍医である。鴎外は幕府の職員録である武鑑から抽斎に興味を持ち、彼の生涯を描くばかりでなくエピソードとして妻の五百や周辺の事柄まで描いた。
妻の五百のエピソードには、こんな面白いものもある。 彼女は幼少期から利発であり、文武両道の女として知られ、また臨機応変に機転も利き度胸もあった。その一例が評伝にも載っている。それは嫁いだ抽斎宅に強盗が押し入った折り、刀を手に暴漢に立ち向かい撃退したというのである。それも彼女は風呂上がりで肌を上半身見せたままだったとか。これはエピソードとして脳裏に焼きつくに足るものではある。。。