HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

2023-01-01から1年間の記事一覧

*第二の青春 マリアンネ:「西東詩集」より

ゲーテ晩年の「西東詩集」には新たな恋愛対象として出逢ったマリアンネ・フォン・ヴィレマーが関わっている。 このマリアンネは ズライカとして「西東詩集」に重要な形姿として現われてくる。つまり、最後の恋愛体験としてのマリアンネ体験によって、ゲーテ…

*風の声: リルケ「ドゥイノの悲歌」より

憧れと愛に生きた女を 歌うがいい 英雄は 存在を貫き 没落も口実となす だが 精魂尽きれば 塵に帰る・・ 地から轟き渡る 巨大な声 聴け それは神の声!!...だが 堪ええぬなら 風の声に 耳を傾けるがいい 若い死者に代わって その嘆きの声を! )) ) Rilke: Duin…

* 「ナポレオン軍遠征に関する逸話」: クライスト奇譚集 より

「1809年、皇帝軍遠征に付き従いて」と題された書物のなかで、ナポレオン皇帝に関して、次のような逸話が記されている。--: それによると、作者はナポレオンの力量に憐憫の念を感じつつ、こんな奇妙な一例を伝えているのである。--: 周知のごとく、アスペル…

* ディオティーマよ!...何処?・: ヘルダーリン「ヒューペリオン」より

1770年生まれのヘルダーリンはシラーと交友あったドイツの純粋な魂の詩人。が、彼は73年の全生涯の後半生、30数年を精神の闇に暮らした詩人でもあった。 彼の評価は高い。唯一完成した散文作品に手紙形式で書かれた「ヒューペリオン」がある。: 「ディオティ…

*リンコイスのように : ラーベ抄より -13.

ラーベが 最後に発表した作品「ハステンベック」は歴史小説で、これは7年戦争を扱ったもの。彼はその後、もう一篇「アルタースハウゼン」を書きはじめるが、これは中途のまま老齢の故もあり筆を絶つ。 とはいえ、擱筆してから10年の歳月の間に、いろいろな名…

*「飢餓牧師」: Der Hunger-Pastor -5.

62年から70年までシュトゥットガルトで30代の8年間を過ごしたラーベは、それまでにない解放感を抱き、書くことに 打ち込む。この時期は、また、友人たちと親しく付き合うことのできた時期で、 後に所謂、長編三部作、「飢餓牧師」「アブ・テルファン」「死体…

*40代ラーベの作品群 :⑨ (*- 14)「ホラッカー」など

40代をブラウンシュヴァイクで過ごしたラーベ。時はビスマルク帝国の時代。彼は権力主義的政治には危機感を抱く。というのも、商業主義的政策や産業化の波は人の魂を打ち砕く以外なにものでもないからである。そんな時代であればこそ書くものはイロニー的色…

*ヘッベルとラーベ: -8 .

処女作「雀横丁年代記」は 若きラーベが老人を語り部にして 過去を振り返りつつ回想していくスタイルで書いた。:そこでは ベルリーンのうら寂れた裏横丁を舞台に 錯綜とした小市民の運命と日常を、時代の運命を重ねることによってユーモアとペーソスをまじえ…

*「黒いガレー船」: ⑥ (* -7 )

.ラーベは、ヴィーンやミュンヒェン、シュトゥットガルトにも旅してまわる。そして、はるかに自由な世界を知る。なかでも、シュトゥットガルトは31歳の時に名士の娘ベルタと結婚した土地で、以後8年間を暮らした。 その為、終生、忘れ得ぬ地となり、この南の…

*「ライラックの花」とゲットー : -4.

ラーベは28歳のとき南ドイツに旅をし、地方の文化や市民生活に触れ、人の歓びを目の当たりにした。 ライプツィッヒやドレスデンでは、何人かの作家にも接し、その一人は当時43歳のフライターク。彼の代表作は「借りと貸し」Soll und Haben。もう1人は48歳の…

*「雀横丁年代記」➁ (*- 6) :W.ラーベ作 

19世紀ドイツの作家W.ラーベの処女作「雀横丁年代記」⑤には、文頭でこう書き記されている。: 「実に、嫌な時代である」⑥と。 このモットーは、ラーベの長短68篇あるすべての作品に貫かれているといってよい。: 25歳のこの処女作以来、半世紀近くにわたって、…

*ジョン・バース「酔いどれ草の仲買人」より

詩の末尾に 桂冠詩人 エベニーザーと書いた二行連句の詩篇は、船を追う海豚の群れを眺めては、ミルトンの著作を参考にしながら 眼にするメリーランドのおもかげを描いたものである。: トロイを撃ち破り、帰路のユリシーズ: 纏(まと)いし衣は破れ 西の方へと…

* ブレヒト散文選より: Nr.14-

他の民族と平和に暮らしている人々が、それぞれ階級闘争をしていることがある。 しかし、他の民族と一旦、戦争になると、階級間の闘争は休戦せざるを得ない。 と同時に、そんな場合でも、階級間の闘争が俄かに、激化することもあり、そんな状態にでもなれば…

*ブレヒト散文選より; 15-: レクチャー

詩のレクチャーが終わると、コイナー氏は云った。:: ローマでは公職の候補者は討論会に出席する際、ポケットのついたローブは着ることが禁じられていました。 そのように、詩人もまた、詩を作る際には心しておかなければいけない。つまり無作法であってはな…

* 「ファンタズス」千年もの間 :ホルツより

千年ものあいだ 寺院の廃墟のもとで わたしは 埋もれていた: 夕陽を受け 羊は草を 喰(は)み 花咲く草原で 羊飼いが 角笛を 吹き鳴らし そんな年月の巡るなか 千年ものあいだ 土の下に 横たわっていたのだ: だが この日 いま蘇り この眼で 緑の水を見つめる …

*希望と蘇生のセゾン: ゲオルゲ詩選

苑みな蒼き冷湿の 身を切るばかり 風が吹き 葉は ことごとく 払われて 芥とともに 朽ち果てる 初雪 舞いて 煌めく結晶 落ちゆくままに 融け始め 枯れた枝から したたり 雪片の 沈みしとき 無常 覚ゆる 望みも果て・・ けれども 春の盛りに 若葉 芽吹き 樹木…

*: ソール・ベローより

「・・友人が綿花について 秘密の情報を流してくれた。勿論、そいつをごっそり買った。電話での買い付けで。すると 綿花の積み荷が、まだ海にあるうちに三倍に高騰し世界の綿花市場が てんやわんやになる。この船荷の荷主は誰かと云うことになった。無論、わ…

*漱石の講演:鴎外「青年」より  

案内されて漱石が現れた。どんな人かと純一は見つめる。 漱石の背丈は中ぐらい、顔にはカイザー髭。 漱石は鎮まるのを暫く待って 口を開いた。 「イプセンの話をということでありました。が、考えたことはありません。 ですから、知識は諸君とおなじ」 声を…

* 鐘の音 :デーメルより

そして 日暮れに 鐘の音 : 見回せば あちこちの小屋から 煙が 立ち上り こずえは 温かく包まれて さあ 出ておいで 風が そよぎ 囁いているよ: 春だ 出ておいで 子らが 毬投げして遊んでいるよ !... 白樺や楓の若葉も 息づき 戯れている!... 草原の爽やかさを…

* 星が輝く夜は・・:T. マンより

おっしゃる通り、と男は云った。 憂鬱に関しては その通りです。いつだって星が輝く夜は、また格別でして。 この男は詩を書いているな、とクレーゲルは思った。 夜も更け 風が激しい。 クレーゲルはベッドに体を伸ばした。 眠れない。するとまた、甲板に行っ…

*時代の波と「古巣」など : W.Raabe より ⑩ (*-3)

W.Raabe ラーベが「ホラッカー」を発表した年は、三女クララが72年に誕生した4年後のことである。それは 末娘ゲルトルートの生まれた年でもあった。そして 彼にはもうひとり次女 エリーザベトがいる。 37歳の時のシュトゥットガルト時代に生まれた子である。…

*「饅頭男」 : より -2.

ラーベが25 歳で発表した処女作「雀横丁年代記」。 Der Chronik der Sperlings-Gasse。 以来、20代に19篇、30代 に17篇、40代は16篇、50代では10篇発表。 その中で、60歳に書き上げた「シュトップフクーヘン」(饅頭男)は、ある意味で、その頂点に達しえた作…

* 復活祭前の 第五旬節の日曜日: 

Sonntag Quinqua-gesima : 人は 同朋(はらから )ともに生き 傷(いた)みも 情熱も分かちあひ さながら 灼熱の地獄のなか 泪流すは 熱く たゆまず こころを ひとつにしようと 願ひしからか 噫 されど 悲しきかな!.. 目の前は 闇のように 閉ざされ 鷲のように …

*「オネーギン」より

諸君、オーデを書きたまえ。国家が隆盛を極めていた時代には、誰もが 頌詩をかいたものだ。 荘重な文体のオーデを?... いや、もう、たくさん・・ 諸君 エレジーなぞは どれも下らんじゃないかね、狙いからして。 それに引き換え、オーデというのは実に、高尚…

*シラーの情熱と苦悩・

23歳の時、短編小説集「小フリーデマン氏」を上梓し作家生活に入った.トーマス・マン。 26歳の時に、自身の一族の三代にわたる歴史を描き名声を得、そして後に、ノーベル賞受賞作となった初めての長編小説「ブデンブローク家の人々」。 彼の短編小説のひとつ…

*プロメテウスの寓話: ホフマン短篇 より

<プロメテウスの寓話> というものがある。 創造主をもくろんで天の火を盗み、命あるものを生み出そうとした あのプロメテウスの話で、驕慢にも神を気どったプロメテウスは どうなったであろうか。 永遠の劫罰を受けたのである。 つまり、神に成りあがらんと…

*「安土往還記」:辻邦生より

京都で明智殿の謀反を知ったのは、翌々日、噂によれば、明智殿は 愛宕へ参籠していたが、自分への共感から 遁れたいと念じていたのだ。 そして ひたすら 甘美な眠りの中に いたかったのだ。 しかし 大殿は近侍わずか30騎 安土を出て、本能寺へむかっていた。…

*孔子と子路: 中島敦の「弟子」より

「山月記」などで知られる中島敦は33歳という若さで夭折しているが、彼の作品は漢文調で書かれ、そのリズムは簡明であり魅力に富む。 書き残した数は少ないが、そんな中の一つに「弟子」という短編があり、これは顔回や子貢といった孔子の高弟のひとり、子路…