京都で明智殿の謀反を知ったのは、翌々日、噂によれば、明智殿は 愛宕へ参籠していたが、自分への共感から 遁れたいと念じていたのだ。
そして ひたすら 甘美な眠りの中に いたかったのだ。
しかし 大殿は近侍わずか30騎 安土を出て、本能寺へむかっていた。
それは明智には 無限へと駆り立てられる声に聞こえたにちがいない。
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この小説は、イタリア語から仏文に訳されたのを 日本語に試訳した書簡の断片という形をとっている。
この南仏の著名な某氏の書庫で見つけた書簡断片を訳出したのは、16世紀末の日本が描かれていたからである。
16世紀といえば ヨーロッパは スペインやポルトガルによる大航海時代、
日本へも影響が押し寄せ、イエズス会によるキリスト教布教とともに、交流があった時。