ゲーテ晩年になった「西東詩集」の萌芽として、新たな恋愛対象として出逢ったマリアンネ・フォン・ヴィレマーがいる。このマリアンネはズライカとして「西東詩集」に重要な形姿として現われてくる。つまり、そこには最後の恋愛体験としてのマリアンネ体験によって、ゲーテに所謂、第二の青春の自覚がみられるからである。ゲーテにとってこれを契機に、また新たな感覚的充実感や新鮮に溢れ出る創造力や陶酔からくる生の歓びが芽生えた。そして、そこからズライカ詩が生まれてくるのだが、とはいえ、第二の青春は固より、第一のそれではない。ゲーテ自身が65歳の晩年でもあり、いや、そればかりからではなく、30歳になっていたフランクフルトの銀行家夫人・マリアンネも若々しいとはいえ、こころも精神もすでに円熟し、甘いも酸いも心得た婦人だったからである。>>>ゲーテはそのようなマリアンネに、湧きいずる詩的空想を比喩を駆使し、形象の充実をもって感謝をささげた。
愛をかさね 時をかさね 言葉をかさね 眼差しをかさね
まことの限りの口づけをかさね 息をかさね こうして
夕べがすぎ 朝がすぎ わたしの歌に隠された愁ひを
あなたは感じ取ることでしょう ユスフの魅力を借りたい
あなたの美しさに ふさわしくと
「ズライカの書」より Buch Suleika