HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*ブナの森?..ダッハウ?..それとも、:

 

「それにしても、あそこの老紳士は何を話しているのだろう。誰かが処刑されたとか」

   ベルリンを貫流しているシュプレートンネルは占領された折り、一部の狂信者により、2,3週間ほど前、水浸しにされてしまったのだが、いまだ地下鉄は寸断され、乗客は歩くほかはなかった。狭い木橋を騒々しい音をたてながら乗客は、みな小走りに渡っていた。その中にひとり、厳めしい立て襟の黒いフロックコートを着た齢のいった紳士が、左右から押されながら渡っていたが、左側の男は知り合いらしかった。そして、その傍らにいた男は、色の褪せたユニフォーム姿からして除隊兵らしかった。

「それはだね、当り前のことだったのだよ。まず、訊問があってだね、次には拷問が待っていたのだが、そういうものだったのだ」

 しかし、この太ったおとこときたら、どうして私を向こうへと押しやろうとするのだろう。・・いま、確か訊問とか云っていたようだが。・・ブナの森のことだろうか、いやそれとも、・・だが、いったい何が起こっているというのだろう。橋を渡っている乗客はみな、立ち止まってしまっている。・・が、それよりか、あの老紳士の話はどうなっているのだろう。」

 「それがあったのは43年のことでね。審理のほうは以前から始まってはいたのだが、2年ほど続いていてだね、裁判官が考えていたことは最初が肝心だということなのさ」

いや、やはり、あの紳士の言っていることはブーヘンヴァルトのことではない。

「この訊問に関する記録は今も残されていてね、・・<迫害の日記>というのだが、一語一語きちんと残されている。ヨハネス・パクによれば、彼の父親も打ち首の刑にあっていたのだ。そして、刑務所ときたら、それは荒んだものだったという。鼠はうろつき回っていたし、蚤はいる、布団といえば汚れた藁布団で、飲み水なんてありはしない。だから、喉が渇いて変になってしまうし、ばかりか、毎日のようにぶち込まれてくる人が後を絶たない。男ばかりじゃない、女も子供もみな、一緒で。居場所もないくらい、それは眼も当てられなかったという。そのうち、伝染病が発生する、死者が出ても放置したまま、だから、悪臭が漂って、・・なんという地獄の有様だったか。」   

   Aus: E.Langgasser , "Nichts Neues"  ,

   Gesammelte Werke  Claassen Vlg. 1964..  S. 357ff.....

                   ( Erste  Ubersetzung, 1976.5.26.....)      

 アウシュビッツ!?...アウシュビッツ強制収容所のことだろうか。

 「しかし誰ひとり、この件について秘密を漏らす者はなかった。信頼感は揺らぐことなく、みな強く希望を抱き、互いの愛も深いものだった。だから誰かが秘密を漏らすかなどと恐れ戦くこともなかった。甘い誘惑に乗る人も、固より皆無だった・・」

「勿論、行きつくところは畢竟、死と定まっていた。それも想像を絶する苦渋の後と決まっていたのだ。飢餓攻めにはあう、逆さづりにはされる、牛革の鞭で叩かれる、そんなあんなの虐殺がなされていたのだ。生き地獄とはよく言ったものなのさ。にもかかわらず、断じていうが、これは敗北ではなかった。寧ろ、勝利であったのだ・・」

あの老紳士の言っていることは間違ってはいない。そして確かに、その通りであったろう。が、しかし、そもそも勝利とは何を意味するのであろうか。・・そして敗北とは。おそらく、その意味するところは それほど変わらぬに違いない。

  いま橋を渡ったばかりの群衆の流れは、ようやく押し合いへし合いから解放され、拡散しはじめて、右へ行くもの、左へ急ぎ去る者ありしたが、それとは別に急いで地下鉄の構内に走りこんでくる者も多かった。・・そして細い通路を肩をぶっつけ合いながら駆け上がってくるのである。先ほどの、老紳士と一緒にいた除隊兵らしき人は、地下鉄の入り口に来るとたちどまり、帽子を取ると、別れを告げ挨拶をしていた。

   「だから、そういうものなのじゃよ。当時も、なんら変わるところはなかった。やはり、おなじ。結果も同じでね。主任司祭は囚われの身になる。人間というものは何ら、変わってはいないのだ。人間はやはり、変わらないものなのだ。噫、すべては百年前と、いや、千年前となんら変わってはいないのだよ。韓国における殉教者記録にも残されていることだし。このようなことは お日さまの下では、何も変わってはいない。百年前にも起こっていたのだからねえ・・」