劇文学で、ラシーヌの父と子のやり取りほど 感心させられるものはない と作家エドゥアールは云った。
いいかね。芸術は 要するに、普遍的なものなのだよ。・つまり、個別を書きながら 普遍を表現している。 ちょっと 喫煙 よろしいかな。
「どうぞ、遠慮なさらず・・」ソフロニスカは云った。
ところで、今「贋金つかい」という小説の構想を練っている。その小説は 人間性に根ざし、虚構にも富むといった さしづめ、 モリエールで云えば「タルチュフ」ですかな。 「それで、主題は何かしら」
そんなものは とエドゥアールは云った。
ぼくの小説には主題はない。こういってもいい。つまり、主題は 決して 一つではない。・・思えば、自然主義派の欠陥は、人生の断片を いつも時間の縦軸に沿って切りとった。・ けれども、ぼくの小説には横軸も差し込み、何もかも 盛り込みたいのだ、わが身に起こったことは何もかも、細大漏らさず、見るもの聞くもの 知っていること、他人や自身の生活から教えられるものの全てを・・ >>
「それ 小説といえますかしら・・」ソフロニスカ夫人は皮肉を込めて言った。脇にいたローラは苦笑した。
すると エドゥアールは肩を竦め、ぼくの目論見は多面的に様式化し表現することですから。
「それでは、うんざりね、読み手は・・」とローラ。
そんなことはない、断じて。。。
「ええ、風変わりで 面白いかも・・」とソフロニスカ夫人。
「でも、インテリは登場させてはいけませんことよ。お分かりになって。ともうしますのも、読者は退いてしまいますからね・・」
Gide: 1869-1951 Les Faux-Monnayeurs. 1945: ゲーテ賞
*この「贋金つかい」は唯一のロマーンで、他には、一人称の語り手による作品《レシ》と呼ばれる「背徳者」や「狭き門」、「田園交響楽」などがある。
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ところで、フランスの作家ジッドの「贋金づかい」はこんな小説である。:
主人公は、自分の才能や人生に不満を持ち、友人のバーナールとともに贋金を使って世界を旅する。しかし、旅先で出会った人々や出来事によって、オリヴィエは自分の価値観や道徳観が揺さぶられる。 ジッドのこの作品は自伝的要素も含んでおり、彼の思想や感情の変遷を垣間見ることもできる。
まずイタリアに向かったオリヴィエは 美しい女性エドワルダに恋をする。しかし、彼女はオリヴィエの贋金の秘密を知って軽蔑。オリヴィエは失意のうちにアフリカに渡り そこで原始的な生活に触れ欲望や本能から解放される。
一方、バーナールはロンドンに行き、そこで有名な作家と出会う。プロティノスはバーナールの才能を認め助けてくれるが、バーナールはプロティノスの作品を盗作しスキャンダルに巻き込まれる。オリヴィエとバーナールは最後にパリで再会するが、かつての友情を取り戻すことができない。>>**
この小説でジッドは自由に生きることの意味や価値を問いかけ、同時に 自由に生きることの危険性や代償も示す。オリヴィエとバーナールは、自分たちの選択によって幸せにも不幸にもなり、その結果に対して責任を負わなければならない。
ジッドは、自身の経験や思想を反映させ、読者にも自身の生き方を考えさせる作品を書いたのである。
「贋金づかい」以外では、代表的な作品は以下のようなものがある。--:
『地の糧』(1897年): 北アフリカで体験した少年愛や原始的な生活を描く。
詩的小説。: 「背徳者』1902年:キリスト教的な道徳から解放され生へと目覚める。
- 『狭き門』(1909年):神秘主義に傾倒するアランと その恋人の悲劇的な愛。
- 『法王庁の抜け穴』(1914年):ローマ法王やフリーメイソンを風刺したソチ(茶番劇)で、動機のない殺人を遂行する。
- 『田園交響楽』(1919年): ジッドが第一次世界大戦中に書いたレシ(物語)で、音楽家とその友人たちの恋愛模様。 -- *1947年ノーベル文学賞、