W.Raabe ラーベが「ホラッカー」を発表した年は、三女クララが72年に誕生した4年後のことである。それは 末娘ゲルトルートの生まれた年でもあった。そして 彼にはもうひとり次女 エリーザベトがいる。 37歳の時のシュトゥットガルト時代に生まれた子である。
Raabe ラーベは こうして娘たちに恵まれ幸せだった。
彼は40代も後半になると「古巣」を発表している。
そして 50代には三つの作品、「プリンツェッスィン・フィッシ」「プフィンスターの水車小屋」、そして「不安な客たち」 を書きあげていく。それらの中で意図したことは、世の中とはいったい、人間の心の奥深くと どう関わっているか、ということだった。:
例えば「古巣」。主人公は子供の頃の懐かしい思い出の城が 時代の波に晒(さら)され投機の犠牲になり、廃墟と化すのだが、アメリカに移住し現実感覚を身につけ帰郷した彼は、この土地を買い戻し、積極的に生きていこうとする。
また、「プフィンクスターの水車小屋」では、工場排水の悪臭が原因で客足の途絶えたレストラン経営者が、竟に、公害訴訟を起こし勝訴した。が、やがて小屋は壊され 結局は化学工場になっていく、そんな時代の波と運命に服するより仕方なかったのだ。
・「古巣」 Alte Nester. 48歳の作。
・「人魚姫」 Prinzessin Fisch. 52歳の作
・「プフィンクスターの水車小屋」Pfinsters Muhle. 53歳の作。
・「不安な客人」Unruhige Gaste. 54歳の作