.ラーベは、ヴィーンやミュンヒェン、シュトゥットガルトにも旅してまわる。そして、はるかに自由な世界を知る。なかでも、シュトゥットガルトは31歳の時に名士の娘ベルタと結婚した土地で、以後8年間を暮らした。 その為、終生、忘れ得ぬ地となり、この南の地での体験は、ゲーテが37歳のころイタリアに旅して眼を見開いた体験⑰にも比べられるほど。
こうして、これを契機に作品を書き続けていったが、その一つに30歳の時に書き上げた「黒いガレー船」⑱がある。:
これは1568年に反乱の始まりがあったオランダの独立戦争、とはつまり、北部のカルヴァン派の新教徒がカトリックの国スペインに対して起こした反乱を背景にしている。(因みに、当時は16世紀大航海時代で、スペインやポルトガルがキリスト教布教や植民地化に勢力を拡大していた時代でもある)、これが80年もの長きにわたって続き独立に至る戦争で、この作品で一挿話として、脇役としてのスペイン軍の大尉に、うら寂しい感懐を書きこみ終わらせている。:
《砲声が収まるとオランダ船はみな、戦利品を積み込み、スペインの要塞から離れていった。遠くからは、なおも1568年当時の歌が響きわたってきた。:
御神の御前にて告白します 神の御業の前にて吐露します
あの頃は 君主に従わず 御神こそ最高の君主と思い
正義の下に支配してくださっていると信じていた のです>>
ラーベは翌年には「説教壇より」⑲を書く。:マークデブルクの戦争Schmalkaldischer-Krieg:1546.7. ~ 47.5.における自由の闘争を描いた歴史小説で、宗教戦争の色合いが濃い。 とはつまり、カトリック教会を支持する神聖ローマ皇帝カール五世とプロテスタント勢力であるシュマールカルデン同盟の闘いで、この頃は他にも、1618年から続いた新旧キリスト教の戦いとなった30年戦争もあり、国土は疲弊し人心も荒すさんでいたのである。
他には、短篇「最後の権利」⑳も31歳当時の作品にあり、32歳の時には現在を舞台に「森からの人々」(21)を書いている。:
これはゲーテ晩年の作品から影響をうけたビルドゥングスロマーン(教養小説)でもある。こうして以後は独自の作風に向かっていったのである。
**++)))
⑰ゲーテはイタリア紀行を契機に、古典主義的作品「タウリスのイフィゲーニエ」や、「トルクヴァート・タッソー」を発表。 Iphigenie auf Tauris * Torquato Tasso
⑱ 「黒いガレー船」 Die schwarze Galeere. 30歳作。
⑲「説教壇より」 Unseres Herrgotts Kanzlei. 31歳作。
⑳「最後の権利」Das letzte Recht. 31歳作。
21. 「森からの人々」Die Leute aus dem Walde. 32歳作。
**))) +
Die schwarze Galeere: Am Anfang dieser Erzahlung.:
「黒いガレー船」 初期作品 1861;より
Es war eine dunkle ,sturmische Nacht in den ersten Tagen des Novembers, im Jahre 1599, als die spanische Schildwache auf dem Fort Liefken-hoeck , an dem Ufer der Schelde , das Larm-zeichen gab, die Trommel die schlafende Besatzung wachrief und ein jeder --Befehls-haber wie Soldat --seinen Posten auf den Wallen einnahm...... Die Wellen der Schelde gingen hoch,und oft warfen sie ihre Schaum-spritzer den frostelnden Sud-landern uber die Brustungs-mauern ins Gesicht.
**
Aus: der 'Selbst-Geschichte im Photos von HERRN*SOMMER- Natsume seit 1945' :