処女作「雀横丁年代記」は 若きラーベが老人を語り部にして 過去を振り返りつつ回想していくスタイルで書いた。:そこでは ベルリーンのうら寂れた裏横丁を舞台に 錯綜とした小市民の運命と日常を、時代の運命を重ねることによってユーモアとペーソスをまじえて書いていたのである。:
〈・・たとえ闇がどれほど暗かろうと、一条の星の光がそこには煌(きら)めいていた。:無垢な少女エリーゼだった。( S.127..;これはブラウンシュヴァイク版 ラーベ全集からのページをしめす。)
〈・・わたしは愛するものの眼の中に読み取れる啓示のほか どんな啓示も信じない。この啓示のみが真実で 偽(いつわ)りないからだ。愛するものの眼の中にだけ、神を目の当たりに見る。 ebd...S.127..
〈・・われわれは実に愚かである。笑われることを怖れて胸の底から湧き上がる優しい感情を押し殺してしまうことが幾度、あることか。 泪を恥じて悪しく罵(ののし)ったり、楽しい笑いも恥じて 退屈気に渋面をつくってみせたりする。また、人生の悲しみを喜劇の仮面の下に演じたり 歓びも悲劇の仮面の下に演じたりする。人は何故、かくも偽(いつわ)り、苦しまないではおれぬのか。 ebd.....S.142..
〈 ・・青春は眩(まばゆ)い。幸福を感じるのに多くを必要とはしない。
わずかな月の光と奏でる水の滴(しずく)があり、また、リート(歌)の一節があれば若者は詩情を感じるものなのだ。 ebd. S.160..
〈・・若者に愛が芽生えるときほど美しいものはない。
朝の光で東の空が明るくなりはじめると、花の蕾(つぼみ)は光につつまれ、あちこちから雲雀(ひばり)が飛び交い 人生の荒寥とした様は窺い知れぬかのようである。それ故、若者の胸には咲き広がる花だの舞い踊る蝶だの、また楽しげに囀(さえず)る小鳥で、皆、未来のヴェールの下に温かく見守られているといってよいのだ。 ebd..S.151.
W.Raabe. Die Chronik der Sperlingsgasse S.163... Samtliche Werke. Braunschweiger Ausgabe Band Ⅰ. VandenHoeck & Ruprecht in Gottingen 1965.
ラーベの処女作は好評をもって受けいられ、厳しい批評家のヘッベル氏*⑪も好意的に評価した。そしてこの成功以来、彼はヴォルフェンビュッテルに戻ると初期の作品「春」や「フィンケンローデの子供たち」や「ディーナウの貴公子」「聖なる泉」*12といった作品を矢継ぎばやに発表していったのである。
---(注)-:
⑪ヘッベル C.F.Hebbel 1813- 63 : 劇作家。19世紀ドイツリアリズム戯曲の完成者。処女作「ユーディット」「ギーゲスとその指輪」など。 Judith, Gyges und sein Ring. usw---
「春」: Ein Fruhling 、26歳の作。
「フィンケンローデの子供たち」Die Kinder von Finkenrode. 28歳の作。
「ディーナウの貴公子」Der Junker von Denow. 28歳の作。
「聖なる泉」Der heilige Born. 30歳の作。