作者自身の境遇を描く長編。:「もはや誰も知らない」:Keiner weiss mehr.
プソイド的、とはつまり、似て非なる<彼>の観点から、教育学専攻のケルン学生の緊張が描かれた:
この学生は学友の女性(ふたりの間には精神障害の子供がいる)、並びに、友人R.と一緒に暮らしている。R.はしかし、所謂、ボアヤール・覗き魔である。
主人公は夫婦生活に失望している。彼女が性生活を満たしてくれないからではなく、彼の可能性の実現を妨げているからである。つまり彼女は夫婦間における協力者としての義務、とりわけ、精神に障害の子供の世話をする義務を負わせているからである 。
このような状況から生じる葛藤をブリンクマンは短い散文「もはや先には進めない」や「これがすべてだ」で既に扱っているが理解されず孤立していた。その魅力にひかれた作家仲間もいたが、決して多くはなかった。
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1940年生まれのブリンクマンは22歳の時「墓穴」でデヴューした。この作品で描かれたのはこんな内容:
ひとりの男が朝、汽車で以前に棲んでいた故郷にやってくる。が目的は果たせないまま、立ち去っていく。
ブリンクマンはヌーボースタイルで、この町の印象や観察や思い出を二人の観点から交互に語らせるという手法で写実主義のスタイルで書いたものである。
Keiner weiss mehr. R.70 Nichts weiter
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