HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*異国の詩人、ハーフィス : 「西東詩集」 より ②

 

  さて、「西東詩集」の理解には次の三つの視点からみてみるといい。

その①はゲーテが遠い場所、東洋に目を向けたのは何故か、そして異国の詩人ハーフィス(1320-1389)に模範を執ったのは何故かということ。 

 その➁はいくつかの書からなるこの詩集の内実とその区分からの理解。そして、

 その③は詩的様式とその主要な特徴の解明である。そして、この三つのどの視点から理解を試みようとするにしても、留意していなければならないのは次の点である。すなわち、「西東詩集」はゲーテ晩年の作だということ、また、東洋主義の立場に立った作だということである。そして、そこから一切の詩篇に共通している体験内実とそこに表示された意識との間の<距離>といったものや、教訓的、比喩的、更には、寓意的な表現形式が何故、執りいれられたかが理解されるであろう。

 順序は前後するが、まず第二の立場として挙げた<内実とその区分>から、見ていくことにしよう。

  すでに述べたように、この詩集は幾つかの書からなっているのだが、そこには二つの中心があり、そして、この二つの書は全作品の担い手でもある。

 一つは詩人、賢者の形姿としてのハーフィス、すなわち、「ハーフィスの書」であり、もう一つは、晩年の恋人の形姿としてのズライカ、すなわち、「ズライカの書」である。ゲーテ私・イッヒichの比喩としてハーフィスを、そして汝・きみDuの比喩としてズライカを歌うのである。こうして出来上がったのが、「ハーフィスの書」であり、「ズライカの書」であるのだが、これはもとより、抒情的告白として歌われた抒情的な世界であることは言うまでもない。

    

*「西東詩集」 ゲーテ 覚え書き

 

「西東詩集」West-Ostlicher Divanはゲーテ晩年(65-66歳)の作である。1749年生誕のゲーテ1832年に物故するまで、83年という星霜を生き抜き、かつ、その大半を休むことなく精力的に活動しつづけた文豪・詩人であり、その間にはワイマールという小公国で宰相にも就いた稀な経歴の持ち主でもある。その幅の並はずれて廣い、遙かに聳え立つゲーテではあるが、彼の文学的金字塔から三つの作品を挙げるとするならば、一つは戯曲における、あまりにも偉大な大作と言ってよい「ファウスト」であり、一つは教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)の大作「ヴィルヘルム・マイスター」であり、晩年になった異色のといってもよい抒情詩における「西東詩集」(ディーヴァン)である。そして、これらはいずれもが大河のごとく悠然として流れ、どの部分をとってみても恰も、宝石のごとく輝きに満ちており、魅力にあふれているといっても過言ではない。

 さて、ここでみてみようとする「西東詩集」であるが、時代的には1789年のフランス革命につづくナポレオン時代の混迷と不安があり、(ゲーテは因みに、ナポレオンに60歳頃に謁見しており、またナポレオンはゲーテの若き時のセンセーショナルな純愛・書簡体作品である「若きヴェルテルの悩み」Die Leiden des jungen Werthersを何度も読んでいたという少なからずの因縁があるのだが)、その中にあってゲーテの精神は、遙かな族長の国である東方に関心がいっていたのである。

 

*戦後ドイツ短篇 クルツゲシヒテの タイトル考

 

*各作品のタイトルには、時代の状況もまた、反映されているものである。

レクラム版より、50作品のタイトルから。

◇ 語られた時代:

❶  世界の裏表   戦時下における現実:

  1.「陽動作戦」W.シュヌレ 

陽動作戦とは味方の真の作戦を隠し、敵の判断を見誤らせるために、わざとある行動に出て敵の注意をその方に向けさせるもの) 

2.「隘路」H.ベンダー(*あいろとは、狭くて険しい道を云う)

3.「ダンサー・マリーゲ」 J.ボブロフスキー 

❷ 破壊と精神の崩壊    戦時下の影響

4.「夜ごと,鼠はやっぱり、寝ていた」W.ボルヒェルト 

5.「旅人よ、スパに赴かば・・」H.ベル

 ❸  破滅への道     ナチス下のドイツ

  6. 「風下の島々」A.アンデルシュ

  7.「鉄の十字勲章」ハイナー・ミュラー 

  8.「イエーリコ」(パレスチナの都市)

  9.「或る愛の誘拐」アレクサンダー・クルーゲ

 ❹ 自由への血痕    協力と抵抗 

  10.「アルカディア」S.ヘルムリン(アルカディアとはギリシアの地名に由来し、桃源郷を意味する)           11.「窓辺のオレンジ」

❺ 考察と残存者体験   戦時下における捕虜生活

12. 「フライシャー船長への記念文集」アンデルシュ

13.「オオカミが戻ってきた」ベンダー(拙訳参照) 

➏   廃墟からの復興   戦後の諸問題

14.「荒寥とした舗道」H.ピオンテーク 

15. 「逃走中」シュヌレ 

16.「一縷の望みも消えて」E.ランゲッサー(或る精神異常の婦人の告白) 拙訳参照。

17. 「新 幸運なるオルレアンの処女」アイゼンライッヒ 

18. 「鵞歩行進」ヴァイラウホ 19. 「或る蒐集家の帰還」M.ヴァルザー

20. 「無頓着な男」S. レンツ      21. 「シュレーズィエン地方の伯爵夫人」ガイザー 

   ➐   50年代 ----

25.「世界の終末」ヒルデスハイマー

   ❽.   60年代  祝祭の準備と 崩壊の兆し     

  26.「ダビデはザウルの前にて戯れる」R.W.シュネル 

  27.「ゴーゴリの傍らにいるが如き」レンツ

 28.「テレビ戦争」フリース   

 29.「総合大学・ユニヴァースィテイ」 ヴァイラウホ   

   ❾.   70年代    不安な時代感情:  

 30.「復讐の時代感情」クルーゲ 

 31.「ハイデルベルクへお前は行きすぎる」ベル 

 32.「再会・ヴィーダーズィーン」シュナイダー 

   ❿.   もう一つのドイツ  DDR. 東独 

  33.「司令官夫人」ヘルムリーン 

  34.「天秤座」クーネルト 35.「低からず、遠からず」プレンツドルフ 

  36.「目の前の蠅」ブラッシュ 37.「試練の近い将来」シェートリッヒ  

  38.「バラトンの波浪」S.レンツ 

   *80年代  -----

  39. 「香水」ジュースキント。 

 * 他に、クリスタ・ヴォルフ、カーリン・キーヴス、ウーズラ・クレッヒェルなどの   女流作家、他多数。

     

*御復活前の七旬節の日曜日:  ランゲッサー

 

人類は ふかきこころで待ち望む 石からさえ血のにじむ孤独のふちの悲しみから

肉体は樹木や動物にも 朋友とならんことを望み 

溢るる愁ひの呪縛から解き放たきと おお 愁ひに満ちた苦悩よ !..

清水や棕櫚の樹や繁みに向ひ 愛のエクスタシーのなかで腕を拡げ

魅力ある生き物として原罪の苦しみから 自然のままの香を味わふ

 されど エデンの園にて 呪ひから枝枝の生長は萎え 繁茂も叶わず 

樹液が巡り発芽しても実はならず 夕闇せまる暗闇に 主は姿も見せず

生きる術(すべ)なき ありさ

Aus: E. Langgasser  Gedicht

 Sonntag Septua-gesima (Ostern)  In; Der Wendekreis des Lammes

          「仔羊の回帰線」 より Claassen Vlg. 1959   ebd. S.44..

 

 

 

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*母なる自然: メーリケ解明

 

*1875年のメーリケの死後、彼の才能を理解するひとは、ほんの一部にすぎなかったが、19世紀末になると次第にシュヴァーベン・アレマン地方で評価されはじめ、その後、H.ヴォルフWolfによってドイツリートと して作曲されると広く広まり、 メーリケの評価は今日に至っているのである。 

   

   メーリケ・書簡集 より:---

 母なる自然よ、わが身をいつまでも癒し給わんことを・・ 

*最近、気付いたのですが、普段は厳しい冬も、それは元来、自然の純粋な本質にすぎないということです。広大な白い平原を高みから見、静かな村の背後に突き出た尖塔のような碧いアルプスが幽かに漂う霧の中に浮かぶ雄大な姿を目の当たりに見たとします。すると、そんな時、澄みきった大気中は天より覆われていないものは何一つないので引き締まった感情が伝わってくるでしょうし、また、春になれば祝祭を催したいという気分になるように、気分はおそらく高まってくるというものなのです。

Aus; Morikes Brautbriefen.     

Reclam   ebd.   S.46..Natur  

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* 抒情詩人 : メーリケ .

 

* ゲーテ以降で、その多様性と独創性でメーリケほど抒情詩において抜きんでた詩人は、そう多くは見当たらない。が、彼の生涯は決して耀いていたのではなかった。寧ろ、憂慮に富んだものであった。zB.弟の死、姉の衰弱、別の弟カールの政治活動による拘禁、また、婚約者との絶縁、母の死、更には、彼の健康の衰えなど。usw.                

 *メーリケは1804年、医師の子としてルードヴィッヒスブルクで生まれ、幼年時代は姉たちに囲まれて幸せな暮らしをしていたが、13歳の時、父親が亡くなるとシュトゥットガルトの親戚にあずけられ神学校に通った。彼はその後、牧師の娘、ルイーゼ・ラウと婚約したこともあり、1829年から 33年の4年間に交わされた一連の愛の書簡は純粋なる愛に満ちているが、周囲の理解が得られずに破談に終わっていたのである。

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*メーリケ:書簡集 より

 

 1875年6月4日、シュトゥットガルトで亡くなったメーリケ(享年71歳)は、それより10年前に、すでに詩作は衰退していたが、最も旺盛だったのは1837年から38年にかけて(33歳から34歳)で、38年には150篇の詩を書き一冊に纏(まと)めていた。

死の20年前に出た1855年の短篇に「プラハへの旅路のモーツァルト」Mozart auf der Reise nach Prag があるが、これで頂点に達した感のあるこの作品はドイツで最も美しいといわれる音楽小説Musiknovelleである。

 また他方、長編では「画家ノルテン」Maler Noltenがあり、これは25歳で書きはじめ、28歳で完結をみた告白調の芸術家小説Künstler-Romanで、メーリケは52歳の時この長編に新たに手を加え改作を試みているが、才能の枯渇に悲哀を感じた彼は20年余りという歳月になす術(すべ)はなかっ た。

 

 

 


                             

*「アンティゴネー」  ソフォクレス 

 

ソフォクレスによって書かれ、前441年に上演されたギリシア劇「アンティゴネー」は、攻めよせた敵方の骸(むくろ)を葬(ほうむ)ることを禁ずる掟(おきて)に、敢然として逆らい、死に処せられるオイディプスの娘、アンティゴネーの悲劇だが、そこに出てくるアンティゴネーの有名な言葉がある。それはこんな言葉である:

「憎しみあうためにではなく、

         愛をともにするために、私は

                                  生まれてきたのです。

この人道的、寛容的精神性に富む言葉は、ドイツ語訳ではこんな風になる。

 Nicht  mit-zu-hassen ,

           mit-zu-lieben  bin  ich da !!.   ( 523行 )

 

 因みに、この言葉は、19世紀のドイツの作家、W.ラーベ,Wilhelm  Raabeの長編小説「飢餓牧師」Der Hunger-pastorのLeitwortとして、文頭に引用されており、よく知られた言葉なのである。                                    ***

 

 

*ヘレナとファウストと悪魔メフィストの闖入・ ゲーテ「ファウスト」第二部より

  *第二部・第三幕 ⑵ から

城の中庭でのファウストと絶世の美女ヘレナとの愛の告白の場面(9377~84)

ここでは毬を投げ、毬を受けるように、言葉と意味を交わしながら、心が結ばれてゆく場面     

ヘレナ:   ねえ、どうすれば あのように美しく お話しできるのから。

ファウスト:    それは ごくやさしいこと。つまり 言葉は こころから出すので。そして 恋しい憧れが芽生えたら、ふと顧みて問うのです。

ヘレナ:    楽しみは 誰と共に  享けるのかと・・

 

*そして、この仲睦まじき二人を、例の合唱(Chor)が讃えるのだ。 

(((あのふたりは いつしか身を寄せ合い、立派な玉座の間で 肩に肩を寄せ 膝と膝をつき合わせ、手に手をとり もたれ合い坐していらっしゃるのね。)))

        

* ところが、この幸福な一瞬を俄かに、曇らせるのが云わずと知れた、あの悪魔メィストフェレスの闖入(ちんにゅう)である。 (9491--34行)   

恋の伊呂波の 手習いも 結構。それに戯れつつ 

 色恋の難しい 詮議を たのしく過ごすのもいいが、はたまた 仲睦まじく 暢気 気ままに 色恋に明け暮れるのも よしとするが もはや そんなときでもあるまいに。あの遠来の 鳴り響く 雷の轟きに 気づかぬはずも あるまい。 それ 高らかに鳴り渡る ラッパの響きが 聞こえてくるわ。破滅は遠からず 迫っているのですぞ。激戦の準備は 万端ですかな。絶世の美女に 捧げたツケは 重いのですぞ。いまや 四面楚歌となっては ダイフォスさながら 切り刻まれるが 必定ですからな。

        Goethe  Sämtliche Werke 18-1    Letztes Jahre   1827-32....

              Hanser   Ausgabe   1997..

                    Kommentar.Faust Ⅱ 3 Akt     Metrik  韻律学 

 

*「古代ワルプルギスの夜」: 魔女 エリヒトーの独白:

 

*場面は: ファルザスの古戦場で、辺りは  暗黒である。

 魔女・エリヒトーの独白 :

 ハーイ、あたしはエリヒトー、夜の魔女よ

毎年のことだけど、今宵も 魔女たちの祭りに 参上したわ

やくざな詩人たちが、大げさに悪しく言うほど

 不気味な女では ないのよ

褒めるにしても、貶(けな)すにしても、

詩人というのは  際限を知らないのよ

   あら、見渡せば 谷間はもう、灰色のテントばかり、

     波打っているわ

あの蒼白く 霞んでいる 波のまにまに、

過ぎし日の 不安や恐怖が、夜の幻の中に

   交じりあっているのね 

もう何年、くり返されてきたことかしら そしてまた、  何年、繰り返されて いくのかしら

   そう やすやすと 自分の国は、人手に

   渡したくないものよ

力ずくで掠奪し、力ずくで統治しても、

 長続きするはず ないものなのにね

他の国を奪い取り、支配したがるのは、権力欲と

利己的愛国心と 驕慢のためかしら

そうよ、ここも そういう 大きな戦(いくさ)のあった

古戦場なのよ 暴力と暴力とが 対峙した古戦場なのよ 美しい花や 自由の花環が 

あえなく 引き千切られた ところなのよ

月桂樹の冠が 略奪者の頭を 

 虚しく飾ったところなのよ

こっちの岸辺では、ポンペイウスが 

過去の栄光に 酔っていたかと 思えば、

対岸では シーザーが 運命の秤(はかり)の針を

覗っていたところでも あるのよ

やがて、いくさが 始まったわ けれど、

勝利の女神は どちらに 微笑んだか

  誰も知ってのとおりね