HERR*SOMMER-夏目

現代ドイツ作家・詩人の紹介を主に・・・

*「若い二人」: ホフマンスタール

 

     「美しき惑ひの年」Das Jahr der schonen Tauschungen はカロッサCarossaの医師を目指して学ぶ学生時代を扱った短篇で、こんな詩も挿入されて親しみある詩である。・   「詩だよ!.. 印刷されてない。 詩人の自筆だよ」フーゴーは手にもった封書を振ってみせ、遠くから期待しておれという意を伝えていた。

「デーメル ,Dehmel か?...」と大声で云った。「いや、デーメルじゃない。新しい時代の産んだ最美な詩の一つさ」近くに来るや封書から取り出し白い紙片をみた。投げやりではあるが個性豊かな筆跡で書かれていた。作者の名は書かれていなかったが「二人」Die Beiden と認められていた。 

       「若いふたり」:

手に盃をもち 馬上の男に近寄るおんな:

軽やかに ぶれもせず 盃からは一滴も零れない

すると 軽やかに 鞍の上から手を差し伸べるをのこ 

盃を受け取ろうとした刹那 さり気なく手綱を引くと 

若馬は恐れおののき 上体をそらす

すると 女も恐れおののき をとこの体が揺れると

盃から 深紅の酒がひとしずく 零れ落ちた・・

   

因みに、詩人の名はホフマンスタールHofmannsthal で、 彼はシュニッツラーと並び、19世紀オーストリアの世紀末を代表する劇作家である。

 

 

 

 

*ブナの森?..ダッハウ?..それとも、:

 

「それにしても、あそこの老紳士は何を話しているのだろう。誰かが処刑されたとか」

   ベルリンを貫流しているシュプレートンネルは占領された折り、一部の狂信者により、2,3週間ほど前、水浸しにされてしまったのだが、いまだ地下鉄は寸断され、乗客は歩くほかはなかった。狭い木橋を騒々しい音をたてながら乗客は、みな小走りに渡っていた。その中にひとり、厳めしい立て襟の黒いフロックコートを着た齢のいった紳士が、左右から押されながら渡っていたが、左側の男は知り合いらしかった。そして、その傍らにいた男は、色の褪せたユニフォーム姿からして除隊兵らしかった。

「それはだね、当り前のことだったのだよ。まず、訊問があってだね、次には拷問が待っていたのだが、そういうものだったのだ」

 しかし、この太ったおとこときたら、どうして私を向こうへと押しやろうとするのだろう。・・いま、確か訊問とか云っていたようだが。・・ブナの森のことだろうか、いやそれとも、・・だが、いったい何が起こっているというのだろう。橋を渡っている乗客はみな、立ち止まってしまっている。・・が、それよりか、あの老紳士の話はどうなっているのだろう。」

 「それがあったのは43年のことでね。審理のほうは以前から始まってはいたのだが、2年ほど続いていてだね、裁判官が考えていたことは最初が肝心だということなのさ」

いや、やはり、あの紳士の言っていることはブーヘンヴァルトのことではない。

「この訊問に関する記録は今も残されていてね、・・<迫害の日記>というのだが、一語一語きちんと残されている。ヨハネス・パクによれば、彼の父親も打ち首の刑にあっていたのだ。そして、刑務所ときたら、それは荒んだものだったという。鼠はうろつき回っていたし、蚤はいる、布団といえば汚れた藁布団で、飲み水なんてありはしない。だから、喉が渇いて変になってしまうし、ばかりか、毎日のようにぶち込まれてくる人が後を絶たない。男ばかりじゃない、女も子供もみな、一緒で。居場所もないくらい、それは眼も当てられなかったという。そのうち、伝染病が発生する、死者が出ても放置したまま、だから、悪臭が漂って、・・なんという地獄の有様だったか。」   

   Aus: E.Langgasser , "Nichts Neues"  ,

   Gesammelte Werke  Claassen Vlg. 1964..  S. 357ff.....

                   ( Erste  Ubersetzung, 1976.5.26.....)      

 アウシュビッツ!?...アウシュビッツ強制収容所のことだろうか。

 「しかし誰ひとり、この件について秘密を漏らす者はなかった。信頼感は揺らぐことなく、みな強く希望を抱き、互いの愛も深いものだった。だから誰かが秘密を漏らすかなどと恐れ戦くこともなかった。甘い誘惑に乗る人も、固より皆無だった・・」

「勿論、行きつくところは畢竟、死と定まっていた。それも想像を絶する苦渋の後と決まっていたのだ。飢餓攻めにはあう、逆さづりにはされる、牛革の鞭で叩かれる、そんなあんなの虐殺がなされていたのだ。生き地獄とはよく言ったものなのさ。にもかかわらず、断じていうが、これは敗北ではなかった。寧ろ、勝利であったのだ・・」

あの老紳士の言っていることは間違ってはいない。そして確かに、その通りであったろう。が、しかし、そもそも勝利とは何を意味するのであろうか。・・そして敗北とは。おそらく、その意味するところは それほど変わらぬに違いない。

  いま橋を渡ったばかりの群衆の流れは、ようやく押し合いへし合いから解放され、拡散しはじめて、右へ行くもの、左へ急ぎ去る者ありしたが、それとは別に急いで地下鉄の構内に走りこんでくる者も多かった。・・そして細い通路を肩をぶっつけ合いながら駆け上がってくるのである。先ほどの、老紳士と一緒にいた除隊兵らしき人は、地下鉄の入り口に来るとたちどまり、帽子を取ると、別れを告げ挨拶をしていた。

   「だから、そういうものなのじゃよ。当時も、なんら変わるところはなかった。やはり、おなじ。結果も同じでね。主任司祭は囚われの身になる。人間というものは何ら、変わってはいないのだ。人間はやはり、変わらないものなのだ。噫、すべては百年前と、いや、千年前となんら変わってはいないのだよ。韓国における殉教者記録にも残されていることだし。このようなことは お日さまの下では、何も変わってはいない。百年前にも起こっていたのだからねえ・・」

 

 

 

* ヴァルザーの「フィリップスブルクにおける様々な結婚」: 

ヴァルザーの「フィリップスブルクにおける様々な結婚」:   

    これは彼が30歳の時に発表した処女長編で、カフカにも似た寓意的な不確かさによってグロテスクな関係を風刺し、ドイツの現代社会を描き出した作品である。   そこには四組の男女による放蕩的、姦通物語が描き出された。フィリップスブルク(シュトゥットガルト)における奇跡的に復興した社会は、虚栄に満ち立身出世に栄達した単なる仮装舞踏会にすぎず、人間性の欠如した世界にあって若いジャーナリストのボイマンは、社会的に恵まれない女給と関係を持ち愚かに順応しながら、地方名士の夜会会員の仲間入りを果たしえていたのである。ヴァルザーはまた、市民的イロニカーのT.マンのようにユーモアに富んだイロニーを通し風刺的に社会を批判した。

一方、ベルやグラースやレンツのごとく、ジャーナリスト、あるいはエッセイストとして多面的に政治にアンガージュ・参画した作家でもある。

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*ニーチェと学者詩人:

学問と芸術とに心砕いた哲学者 ニーチェ:

彼は「偶像の黄昏」で ブルクハルトを尊敬すべき友人と述べ

彼の「イタリア ルネッサンス」に 学問と芸術の美しい融和を みとめていた 

ルネッサンスの詩人は また学者でもあった:

彼らは古典古代の再発見をしたのだが

その一人にペトラルカがいた また 別の一人にボッカチオがいた

国も時代も異なるが 詩人で学者にはゲーテがいた

そしてまた 東方の言語と文化に造詣が深いリュッケルトがいた

彼らは ニーチェのいう典型的な学者詩人: 

フィロローゲン・ポエッテンであった>>

 

* メッケルの「雪獣」:

 

K.Rothmann; Dt. sprachige Schriftsteller seit 1945     

   メッケル「雪獣」:    メッケルは作家としてばかりでなく、グラフィックデザイナーとしても有名で、21歳の時7篇の詩と4つのグラフィックからなる作品集「隠れ頭巾」でデヴューした。その特徴はメルヒェン調でグロテスクなファンタズィーに富み、トラークルやクローローなどの影響がみられる。一方、仮構とファンタズィーを、更に変容することに重きがおかれた。例えば、短編集「赤い糸」では筋よりかは、現実から呪文によって霊を呼び出すこと、その呼び出した霊を超現実的な手法で叙述すること、そして、その魔術的な変容を好んで描いたのである。メッケルは比喩的短編「雪獣」で次のように述べた。: 荒唐無稽な動物も、その名前が存在する限り実在するのだと。それゆえ、物語作家として《雪獣》は生命あるものとして存在することを疑わないのである。    「赤い糸」Ein roter Faden

C.Meckel ; aus ; K.Rothmann  Reclam  ebd . S.269ff.                         

 

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*エッセイというジャンルの発展:

 

  内部世界の充実は 犠牲によってのみ得られる。   

                                                               ルドルフ・カスナー           

  19世紀末、転換期のウイーン文学界で際立ったのはエッセイというジャンルが新たな意味で発展したことであった。そのよき例として、ホフマンスタールが挙げられるのだが、彼は外国の詩の持つ魅力について目を開かせた一方、「チャンドス卿の手紙」において架空の書簡によって、文学の持つ言語に新たな見直しを迫り、文学の新しい課題に立ち向かったのである。これは文学が直面する新しい問題を、言語そのものの危機と捉えていたからに他ならない。

         

 人間の内部世界はすでに、嘗てないほど拡大していた。ニーチェニヒリズムダヌンツィオの夢幻世界、また、ドストエフスキー小説といったものが、そのよき例といってもいいのだが、そのころ台頭したフロイト精神分析などもまた、内部世界をますます掘り下げ、深層をみて行こうとするとき、従来の言語では捉えきれなくなっていたからであった。----

  そこで表現形式が見直されたのが、エッセイであった。この分野で当時、活躍した一人にR.カスナーがいる。そして、彼の考えは、ホフマンスタールリルケといった文人にも、思想として影響を及ぼしたのみならず、文学の世界にも大きな役割を演じていたのである。

 

 

*フォルキアスの娘たち: より

・フォルキアスの娘たちの誰なの       わたし あの醜い姉妹に比べてみたわ 

     生まれながら白髪で 代わるがわる 一つ目と一本歯を使った フォルキアーデンの 娘たちのひとりなのね  ---Bist du vielleicht  der grau-gebornen ,   Eines Auges und Eines Zahns   Wechselsweis  theilhaftigen ,   Graien eine gekommen ?...  8736  ~     

神・フェーブスの誤魔化しがきかない不躾の化け物が よくも のこのこ出てきたものね  美しいお妃さまと並んで いいから出ておゆき フェーブスの神聖な目は影なぞ見ないものよ まして 醜悪のものときたら 目もくれるはずないわ

・8744 ~: けれども 死ぬべき人間の目は悲しいけれど 悩まずにはいられないのね     Doch uns Sterbliche notigt ,ach,   Leider  trauriges Missgeschick   Zu dem unsaglichen Augen-Schmerz  

醜悪で忌まわしいものが 美を愛する わたしたちに およぼす苦痛は間の悲しい性(さが)ね 

フォルキアス ; Phorkyas :  ギリシア神話。海神でゴルゴー、  及び、グライエの父。   従って  グライエはフォルキアーデンとよばれる。

 

 

*「ヘジラ」:「西東詩集」 より 

 

「西東詩集」はゲーテ晩年になった作だが、東洋はまさに族長的な世界の地であった。そして、それは瞑想的な老年ゲーテの気分に適合した。そのような現実性から隔たった避難所としての東洋にゲーテは親縁性を見たのであった。

巻頭の詩、ヘジラHegire(移住)は老年ゲーテの遠方への魅力と逃亡から生まれたといって差し支えない。

   北も西も 南も砕け  王座は裂け 国々は震える 

移り住もう 清らかな東方で 族長の国の 大気を味わおう

愛と酒と詩にひたって キーゼルの泉で若返ろう

その純朴な正義の地で 人類の原始の深みに分け入ろう 

そこは人々が まだ 神から天の教えを地の言葉で享(う)け 

  憶測して悩むことなかったところ

民は父祖を崇(あが)め敬(うやま)ひ 異郷の勤めを

すべて拒んだところ 認識は狭くとも信念は厚く

若さの境地を愉しむところ そこで重んじられた言葉は

口から口へ 口から耳への伝承的な一語一語 !!.. 

 

「西東詩集」は12の書からなり、約250篇からの全作品に一つの統一がなされているのだが、それはなにかというと、謂わば、ゲーテ晩年の気分の統一といったもので、それを言ひ換えるならば、考えうる最も拘束のない統一、即ち、「清らかな東方の、族長の国の空気の統一と、それへの憧憬であった。 

  Nord und West und Sud zersplittern,

Throne bersten, Reiche zittern,

Fluchte du , im reinen Osten 

Patriarchen-Luft zu kosten,

Unter Lieben ,Trinken, Singen,

soll dich Chisters Quell verjungen.

Dort , im Reinen und im Rechten,

Will ich menschlichen Geschlechten

In des Ursprungs Tiefe dringen,

wo sich noch von Gott empfingen

Himmels-lehr'  in Erdesprachen,

Und sich nicht den Kopf zerbrachen.

 

Aus: Hegire :  Buch des Sangers (Moganni Nameh)     

      

 

*孔子と子路: 中島敦の「弟子」より

 
山月記」などで知られている中島敦は33歳という若さで夭折しているが、彼の作品は漢文調で書かれ、そのリズムは簡明であり魅力に富む。書き残した数は少ないが、そんな中の一つに「弟子」という短編があり、これは顔回や子貢といった孔子の高弟のひとり、子路を扱った作品である。

彼は遊侠の徒であり、見るからに精悍な青年だが、愛すべき素直さもある。そんな彼は近頃、噂の高い賢者の孔子を辱めようと、右手には牝豚を抱えて押しかけ、次のような問答を始めるのである。「汝の好むは何か・・」と孔子が聞く。

「我の好みしは長剣なり・・」青年は昂然と言い放った。孔子は思わず、ニコリとした。青年の声や態度に、あまりにも稚気なる自負を見たからである。

 附; auf Deutsch:

 Du, was magst du gern ?... fragte  konfuzius.

  Ich bevorzuge den langen Schwert. ,antwortete  der Junge...

* 噴水 :ボードレール「惡の華」より

 

噴き上げる 水は千々の 花と咲き

嬉々として 月の光の 色に染まり

しとど 泪の雨のごと 落ちゆかん・・

 

おお 黒洞々なる 夜の闇に 美しきひとよ

きみが胸に この身を傾け

池のほとりに すすり すすりて 泣きやまず

されば 円かな月よ さざめく水よ 祝福された夜よ

 戦慄く 樹々よ

汝が澄みきった 憂わしさ そが

鏡となって わが愛を 映し出す・・

  C.P.Baudelaire: 1821-  67

               Les Fleurs du mal 「惡の華」 より